日本でも報道されているが、ドイツ各地で外出制限に対するデモがおこっている。極右の人々が加わるケースもあり、問題視すべきこともあるのだが、全体像でいえばドイツらしい「手続き」が行われていると思う。

2020年5月25日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

州政府、市民の権利であるデモを再開

3月にバイエルン州では地方選挙が行われた。選挙期間、週末といえば中心地街では各政党がインフォスタンドを出し、人々にパンフレットを渡したり、候補者・党員は 道行く人達と自由に対話を交わす。日本の選挙運動とはまったく異なる様子が見られる。

だが、外出制限が本格化する前の週末、筆者が住むエアランゲン市(人口11万人、バイエルン州)の「与党」のスタンドが見当たらなかった。たまたま同党の市議とばったり会い、尋ねたところ感染リスクを考えてスタンドを出すのをやめたという。また、別の街では極右政党が集会をとりやめたので、同時に極右反対集会も中止になったと報じられた。極右政党もコロナにはかなわないというわけだ。

「この状況、まずいのではないか?」と思った。
というのも、ドイツはとりわけ下からのデモクラシーを重視しており、バイエルン州でもその旨が憲法で明記されている。しかしコロナ禍で、このまま公共空間での政治活動・社会運動ができなくなると、長期的には下からのデモクラシーが機能しなくなる。

4月に入って、この「私の懸念」に対する回答のようなことを州政府が発表する。デモは市民の権利であり再開を模索、20人程度までの参加者人数を検討している旨を州首相が述べた(2020年4月21日付 エアランゲン新聞)。ほどなくして参加者の人数や距離、通行人との距離をとることでデモの許可を出したのだ。

市民運動とジャーナリズムは地方都市にもある

ドイツという国の構造を見ると、国家権力と個人のあいだに公共空間がある。これは社会学の分野でよく説明される構造だ。公共空間の役割は個人に対する国家権力介入の防波堤だ。ジャーナリズムなどはここで行われる仕事であり、報道を通じて「権力のチェック」と行うのはこのためだ。

地方のジャーナリズムは地方のデモクラシーを活発化する

また、ここで個人は議論や政治・社会運動を行うかたちだ。問題や課題を公論化し、政治のレベルまで引き上げるプロセスといえる。また報道も議論を活発化させる役割がある。

日本で民主主義の話になると、投票率に集中されるが、実は公共空間でのダイナミズムがあってこそ、個人の意見形成につながり、政治と市民をつなげていく。場合によっては投票率よりも大切だ。

参考:ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由 (東洋経済オンライン)

そして、継続的にドイツの自治体を見ていると確かにこういう構造が見いだせる。

自治体の規模の大小問わず、デモや集会の類が多く、地方ジャーナリズムがあるのだ。これがデモクラシーの健全性を担保につながる。そして州・連邦政府もそういう状態を重要視している。

権力はどの程度介入すべきか

興味深いのが、外出制限に対する警察の介入だ。単独での散歩・ジョギングなどは問題ないが、バーベキューパーティなどを始める人がいる。4月最初の週末はニュルンベルク市で7000人あまりが「違反」とされ、1000人余りに罰金が課せられたかということが報じられた。

この中には日光浴をしていても取り締まり対象になったケースもある。

多くの人々は外出制限に賛成しているが、さすがに「これはやり過ぎだ」という声があがる。一方、権力側もこういうことに介入するのは初めてである。どういうケースにどの程度介入すればよいかということが現場レベルでわからないこともあるのだろう。

市民から「やり過ぎ」との声を受けるかたちで、内務大臣は「日光浴は違反ではない」と発表した。

エアランゲン市中心地街の広場 で行われたFridays For Future のデモ。5000人が集まった。(2019年9月20日 筆者撮影)

この一連の出来事を見ると、市民側が権力に対して、公論を形成し、権力介入に対して一定の歯止めを作っているのが見いだせる。もう一歩引いて見ると、外出制限という初めての規則に対し、適切な権力介入を探るプロセスにようにも思える。

衛生と社会運動をどう両立させるか

ひるがえって、今般のデモは外出制限を人権侵害と位置づけているものが多い。権力に対する抗議である。

ニュルンベルク市を見ると、4月最終の週末には基本法(憲法に相当)のパンフレットを配布するデモが30人によって行われているが、参加者も距離をきちんととっている。しかし5月9日には2000人が市街地の広場に集まった。これを受け、翌週は警察は広場でのデモを許可せず、かわりに市内、3箇所に分散させるようにした。

コロナ危機下では、権力が長期にわたり個人の自由を制限することになる。長期化すると、その妥当性を常に監視しなければならない。ジャーナリズムやデモなどはより大切である。今般のデモには極右政党が紛れ込んでくるややこしさはあるが、「下からのデモクラシー」を重視するドイツという国の構造を鑑みると、「手続き」としてはかなりまっとうだといえる。

参考: コロナ:安全装置のついた権力行使がいる

一方、広場は公共空間であるが、「衛生」と「社会運動、政治活動」をどのように両立させるかが悩ましい時期にある。(了)

 執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。 最新刊は「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)
一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら