自由は当たり前?独裁体制から移住した人にとっては自分が「臣民」から「市民」になったことを実感した

世界で自由やデモクラシーが当たり前のように享受されているが、そうではない国も多く存在する。独裁体制の国からドイツに移住した人にとって、自由とデモクラシーがどう言うものかを紹介する記事を見てみたい。


嘘の歴史を教えなければならなかった


ドイツの地方紙の記事で紹介されたのはルーマニアとアフリカのジブチ共和国から移住してきた二人にインタビューしたものだ。

1970年代、当時独裁政権だったルーマニアから移住したホルスト・ゲッベルさんは共産党一党で、政治・経済・文化に関する発言権は党にだけあり、抑圧的な生活だったと言う。教師をしていた同氏は生徒に対して党の指示通りの歴史を教えねばならず、生徒たちの質問に対してもまた嘘をついた。しかし、生徒たちもまたそれが噓だと言うことを知っていた。

ゲッベルさんがドイツの移民の中継地であるニュルンベルクにやってきた時、そこのスタッフがフレンドリーでまず驚いたという。それは自分が「臣民」ではなく「市民」になったことを意味した。デモクラシーとは自由、平等、自由選挙を意味し、自分が自立して自分の人生を営む条件を国家が作りだすという形態を意味する。そして、何も恐れることなく「No」と言え、政府の批判もできる。また平和的枠組みの中で意見表明もできる。しかし「自由」については乱用はできない。自分が受け入れたデモクラシーのルールに従わねばならない。


自由・対話・議論などない


アフリカのジブチから2002年に「ドイツのデモクラシー」に触れたのがサアダ・ムーミン・ギレさん。ジブチは共和国で基本法と三権分立があるが、実態は大統領とその家族が統治している。反対者は刑務所行きで、人々はプレッシャーの下で生きており、自由はなく、対話や議論もなく、「権力の監視」などは論外だ。そのため多くの人がヨーロッパに亡命を申請するが、拒否されることがほとんど。

同氏はドイツには「明確な構造、規則、境界」があり、自由、人権、表現の自由があことを評価。「ここなら自分で何かができる」と思わされた。それでも当社は、アフリカ人でイスラム教徒だったため、ドイツに自分の居場所はないと思ったと述べている。しかし、時間が経つにつれ、誰もが自分にできることをし、自分自身であることを学んだという。寛容さがそこにあった。「なぜ、あなたがこうなったのか、ああなったのか」を問われることがない。これが最も素晴らしいことだと言う。


デモクラシーを語る記事が増加


以上、私が住むエアランゲン市の地元紙(2024年4月20日付)掲載の記事を抜粋して紹介した。最近、同紙では、この記事のみならず、さまざまな立場の人からデモクラシーを語るシリーズを掲載している。これは10年ほど前に台頭した極右政党の勢いがさらに増し、またユダヤ市民への憎悪も拡大していることなどが背景になっている。

私が住む町では実感はないが、ドイツの報道を見ている範囲を見ても、人が人を憎悪対象に切り替えるのは実に簡単なことだと思わされる。これはデモクラシーの基本である、相互敬意の喪失で、人間の尊厳は意外にも簡単に脅かされることを意味する。

それに対して、人々は頻繁にデモを行い、同新聞のようにジャーナリズムは警鐘を鳴らし、デモクラシーの健全性を守る活動が盛んになっている。これらの動はドイツ社会にはまだまともな部分が多く残っている証拠だ。


茹でガエル型崩壊をおこしているデモクラシー国家が多い


他方、今年3月に発表された、ベルテルスマン財団の調査によると、分析対象137カ国のうち、デモクラシー国家は63、独裁国家は74か国あるという。独裁国では政治参加が制限され、抑圧や権力の集中が顕著だ。

またデモクラシー国家はこの20年、後退傾向にある。その原因は経済的不平等・誤った経済政策が多くの国で見られ、腐敗の構造を維持しようとする力が働き、これにより不平等と貧困が拡大。そして政治的な自由が縮小。選挙の公正性が損なわれ、批判的なメディアや政府批判組織が妨害される。

だがクーデターという形でデモクラシー国家が阻害されることは稀で、ほとんどは自由主義体制が何年も停滞し、最後に擁護者不在となり、反対派は「楽なゲーム」をすることになる。つまり「茹でガエル型崩壊」だ。だからこそ、デモクラシーの存続には強力で活発な社会が不可欠であり、民主的な市民社会の抵抗力が重要である。

今年5月、ドイツの憲法に相当する「基本法」は75周年を迎える。基本法は自由で民主的な立憲国家における共存の基盤だ。

また日本は世界的に見て、基本的には自由に発言でき、自分で自分の人生を設計していける国だ。それにしても共生方法としてのデモクラシーを理解し、質的に高めていくべきだろう。(了)


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ドイツの地方都市は経済・社会・環境の結晶性の高さが魅力だ


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演