拙宅近くの住宅街の遊歩道。最近、子供たちの絵が増えた。(2020年3月29日撮影)

驚異的なコロナ危機、国家が権力行使する必要があるレベルだ。そのとき、監視装置や安全装置をきちんとつけておくことが大切になるだろう。

2020年3月29日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

■コロナの「絶対平等」

コロナが発生した当初、アジア系の人に対する差別が問題になった。しかし、ここまで広がった今、この問題は吹っ飛んだ。コロナの「絶対平等」といったところだろう。

現在は個人の自由を制限してでも、権力は対応していくべき状態だ。報道でも見られるように国によっては政府がかなり厳しい制限を行っている。

ドイツでも3月21日から2週間、外出制限がかかる。筆者が住むバイエルン州政府は「当局のより強力な介入がなければ、感染がさらに劇的に広がる」と災害状態であることを宣言。医療分野について政府の管理下においた。これ以降、 警察なども監視を行い、場合によっては罰則も課せられている。

(参考:ドイツのコロナ対応で強調される「連帯」の意味 東洋経済ONLINE)

ドイツの人々は普段、警察のコントロールを嫌う。そのせいか、交通違反の取締なども日本に比べるとかなり少ない。その感覚からいえば、警察が外出に関する監視をするというのはそうとう厳しい状態だ。

■権力行使の目的ははっきりしている

ただし、政府の権力でもって外出制限といっても、戦争ではない。たとえば、単独あるいは家族での散歩やジョギングなどは許可されている。コロナ蔓延は「爆弾が落ちてこない戦争」と私が感じているのはこのあたりである。

それから、筆者はドイツの都市を継続的に見ている。その視点からいえば、権力を行使してでも、安心して自由に振る舞える都市の公共空間(社会)を取り戻すことが急務という感覚があるように思えるのだ。

(参考: 欧州で人々はなぜマスクをしないのか考えた

そのために個人も外出しないことは、そういう公共空間をとりもどすための「社会的責任」であり、「連帯」ということになるであろう。

(参考: 日本に欠如している団結原理

外出は制限されているが、食料の買い物、散歩、ジョギングなどは許可されている。ただし単独・家族、他人とは一人まで。写真は森を散歩する家族(2020年3月29日撮影)

■安全装置・監視装置が大切

それでも、権力の行使に対して用心しなければならない。個人の自由を制限したままになると、とんでもないことになるからだ。

「歴史に学べ」という典型的な話が、ローマ時代の「独裁官」という官職制度。宇野重規さん(東京大学社会学研究所教授)によると、戦争・内乱などの緊急事態に任命され、一定の期間、超法規的な権限を持った。そして任務終了後は厳しく審査され、権限を乱用したと判断されれば、処罰されたという。安全装置付きの権力行使だ。

(参考: 新型コロナで緊急事態宣言か。「独裁官」と危機の民主主義  宇野重規 )

ドイツを見ると、小売店やレストラン(テイクアウトは可)は閉まっているが、新聞・雑誌を販売するキオスクには制限をかけていない。これはコロナ関連の信頼性の高い情報を確保するためで、 ドイツ電子出版・新聞協会も評価している。

だが、もう少し普遍的な話をすれば、権力を監視する「ジャーナリズム」を機能中止させていないということでもある。透明性、自由な意見の表明などがあってこそ、デモクラシーの国家が成り立つという考え方が堅持されているともいえる。

「問題は、法律によって規定される措置が重大かどうかということじゃない。それが、市民の半数が死滅させられることを防ぐために必要かどうかということです。あとのことは行政上の問題ですし、しかも、現在の制度では、こういう問題を処理するために、ちゃんと知事というものが置かれているんです」アルベール・カミュ『ペスト』

おそらく、日本でも権力をかなり行使しなければならない事態になるだろう。このとき、きちんと監視や安全装置をつけておくべきだ。日本には「ナチスの手口を学んだらどうだね」としれっと言う政治家もいる。(了)

【追記】3月31日付で、ハンガリー首相がコロナ危機利用し、表現の自由大幅制限という報道があった。やはり、監視・安全装置は必要だ。

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。 最新刊は「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)
一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら

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