「いつもひとつの意見というわけではない━もっと郷土、もっと多くの意見、もっと読む喜び」エアランゲンナッハリヒテン紙の広告。写真の人物は編集長。

ドイツは「下からのデモクラシー」を大切にする国だ。そこで重要なのが地方におけるジャーナリズム。地域情報を流通させるのみならず、個人の意見形成にも一役買う。地方紙は地域のデモクラシーに影響している。しかし新聞社は経営に腐心。そんな中、報道のような内容の官報が出現した。

月刊誌「市政」2020年8月号寄稿分を加筆修正。記事中の時系列は当時のもの

2021年4月27日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


地方紙の危機 


今年5月、ショッキングなニュースが流れた。連邦デジタル・新聞出版社協会の調査によると、ドイツ国内の40%の地方紙の収益性がなくなるという。

日本に比べて、ドイツの自治体は人口規模の小ぶりなところが多い。そのため人口10万人を超えると「大規模都市」という言い方がなされる。雇用吸収力があり、生活の質を支える文化施設や余暇空間なども充実している。

そして、当然のごとく地方紙が発行されている。全国紙が主流になりがちな日本から見ると、驚く人も多いかもしれない。筆者の経験でいえば、取材で訪ねた人口一万人の町ですら市街地に新聞社の販売店があり、その町の名前を冠した新聞が売られていた。

ひるがえって、同協会によると約11,000の自治体で地方紙が発行されていたが、2014年の段階で720の自治体には新聞がなくなった。


ビジネスモデルの難しさ


新聞は長きにわたり経営危機にさらされている。紙に印刷し、さらにそれを宅配するサービスのコストは高い。同協会によると、一部あたりの配達費用は45セント(50円程度)かかる。

しかし、以前は広告媒体としても価値があった。広告に頼りすぎると編集の独立性に影響するリスクはあるが、財務上のバランスはとりやすかった。

ここにきてネットが普及する。現在、従来の紙の新聞と平行にデジタル版を運営しているケースが多い。しかし、完全にデジタル版に移行するには、収益性に問題がある。多くの人が「ネットの情報はタダ」という感覚を持ち合わせているからだ。そして実際、無料のニュースサイトへのアクセスも多い。

ニュルンベルガーナッハリッヒテン紙の広告。意訳すると「全体像を見ろ、世界に耳をすませ、(いろんな意見を)話せ」ぐらいか?ジャーナリズムとは何かをよく表していおり、これが地域デモクラシーにつながる。地域紙なしでは「一流の地域」にはなれないだろう。


また、新聞はすっかり50歳以上のための「オールドメディア」になってしまい、若い読者が少ない。2000年代半ば、筆者はニュルンベルク新聞を取材したことがあるが、すでに経営への不安は大きくなっていた。「高齢世帯が亡くなれば定期購読が一部減る」という話を聞かされた。

コロナ危機下では広告が思うように集まらず、新聞はページ数を減らして発行。また筆者が住むエリアでは、新聞社が週末に広告費で発行している無料新聞がついに廃刊になった。


コロナ危機下に見えた信頼性


ビジネスモデルとしては厳しい新聞発行だが、新聞のコアになっているのは、「ジャーナリズム」とそれに基づく情報整理の力だ。

ジャーナリズムとは、自分たちの生活やコミュニティ、政府について可能な限り最善の決定に必要な情報を市民に提供する目的をもった情報の姿勢だ。新聞はその「入れ物」のひとつで、情報に関する専門知識、規範と手法を持った記者・編集者によって紙面はつくられていく。

これはフェイクニュースや、アルゴリズムによって検索サイトが「ユーザーが見たい情報」のみを提示するような現象(フィルターバブル)とは一線を画す。

コロナ危機下では「ジャーナリズム」の信頼性が再確認された。同協会によると、3月の段階でドイツ語圏の3分2以上がオンラインで新聞が提供する情報にアクセスしている。紙の新聞の購入も増加。地域ニュースや居住内の状況に関する信頼性の高い情報を求めた結果だ。

連邦政府も新聞の必要性を認識している。コロナ禍で3月に小売店などを閉鎖したが、キオスクなどは営業を認めた。こういう時こそ、人々には正確な情報が必要で、そのアクセスを維持することが目的だ。この連邦政府の措置に対して、同協会は評価していている旨を発表している。


官報と新聞の境界線が明示された裁判


ところで、日本の自治体でも、行政発行の「官報」に類する情報媒体はいろいろあるだろう。ドイツの自治体でも紙媒体をポスティングしているところもあるが、これが地方紙にとって脅威となることがある。

地方紙の販売所に掲示された新聞を読む人たち



そして、こんな問題がおこった。

クライスルハイム市(バーデンヴュルテンベルク州)の無料配布の官報は、まるで報道のような内容だったそうだ。これに対して地元紙は昨年、訴訟を起こす。判決は市が基本法違反を犯しているというものだった。なぜなら、意見の多様性担保のために、報道機関は第三者であるべきだからだ。

たとえば災害など危機的状況で、行政に助けを求める場や手段などは官報(ネット、SNS、紙媒体など)でおおいに掲載すべきだ。また行政の行動についての理由を説明することも重要だろう。

一方、行政の評価は新聞の領分である。情報の優先順位や関連付は報道の自由の権利だ。首長や議員にとって、時には心外な報道もあるだろう。しかし、官報ではないからこそ起こることで、これが多様な意見の担保と関わってくる。筆者が購読している地元紙でも昨年、紙面改革を行ったが、様々な意見の掲載が改革コンセプトだった。

したがって、この訴訟の結果は官報と新聞の境界性を判別するものだった。


地方紙は地方の民主主義の質と関わっている


一般に、個々人は今起こっていることを知り、多様な意見を聞きながら、自分の意見形成をしていくことが大切といわれる。こういうことがデモクラシーの健全性に結びつくからだ。こういうことに地方紙が一役も二役も買う。

その結果、地方紙は地方の民主主義の質と関わっている。地方新聞の発行部数が少ないほど、地方選挙の投票率が低くなるという調査もある。

ひるがえって、新聞というビジネスモデルはなりたちにくくなっている。かといって官報は新聞に代わるものではない。ドイツの地方が抱えているジレンマである。(了)


高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら
ドイツの自治体における地方紙は?情報流通は?


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。