安倍元首相の銃撃の件を「デモクラシー」の視点でみると、日本らしさが浮かび上がってくる。

2022年7月15日 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


私は政策や政治家について論じるほどの知見は持ち合わせていないが、この銃撃を知ったとき、日本の特徴がよく出ているのではないか?そんなふうに思った。

というのも、銃撃した人物と安倍元首相のあいだには、「みんなの空間(公共圏)」とか「イデオロギー」といった部分がまったく見えなかったからだ。同時に逆恨みともいえる私怨が直接、元首相銃撃になぜつながるのか、これが判らない。

一方、同じデモクラシーの国としてドイツを見ると、「みんなの空間(公共圏)」が厳然とあって、恐ろしく分厚く、ここで統治権力と個人をつないでおり、デモクラシーという制度で期間限定の統治者を決めていく。

さらに「統治権力」「市場」「個人」をどのように結びつけて秩序を作るか、という大きな構想物「イデオロギー」が強い。自由や平等、公平、連帯といった価値観は、秩序づくりの良心である。

ドイツの地方都市を凝視していると、日常の延長に、個人の延長にこういう構造があるのが実によく見えるのだ。そして、このような構造の中での対立や反対が爆発し、一種の「ルール違反」として生じるのが暴動や政治家へのテロの類といえるかもしれない。これは私怨とは構造的に異なるし、それでいて、外から、特に「西側」からはこの襲撃は「デモクラシーの質」の劣化に見えるのではないか。

以上のような整理をしてみると、この件の「日本らしさ」が浮かびあがってくるように思えてならない。どうだろうか?(了)


高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら
ドイツの地方都市の社会的構造とリアル


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。