パリの小学校には「自由・平等・友愛」と書かれたボードが校舎の入り口に掲げられていた。(2019年撮影)

イラン出身の男性からきいた、「ドイツで衝撃的だったこと」について。

2021年5月14日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


9年前のことである。

たまたま私が住む町のカフェで、たまたま同じテーブルに座った男性はイラン出身。当時「30年ほど前にドイツに来た」と言ってたから、今日から計算すると40年ほど前の話になる。

その中で「いやね、デモクラシー、反対意見、自由・・・何もかも驚いたよ」とぽつりぽつりと話してくれた。

ほかに彼とどんな話をしたのか、覚えていないが、「ドイツへ来た時、どうだった?」というような話題になったのだと思う。イランから来た彼にとってこれらの言葉とその概念は、そうとう衝撃だったようだ。

さて、こういう言葉は日本社会から見ても、とりたてて驚くにあたらない。しかし、実際の日常生活に目を転じると、それほどしっかり、実装されているわけではない。その逆に、真正面からこれらの言葉を強調しすぎると「プロ市民」「めんどくさい人」というような見方をされる。

もし、ドイツで40年過ごした彼が、日本へ渡ったとき、どんな印象を持つだろうか?(了)


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外国系の市民とどのように地域社会を作っていく?
「民主主義の学校」といわれるスポーツくらぶ。その真意は?

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。