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高松:ドイツとの対比になりますが、ドイツの行政職員は専門家集団のような傾向が強い。教育制度そのものから比較が必要ですが、いわゆる一定以上の教育を受けた人は視野がかなり広い。

国定:なるほど。

高松:人事異動が基本的になく、 皆専門分野の教育を受けている。また修士や博士といった学位を持つ人もいます。日本の組織は学位を持つ人の活用がものすごく下手ですけど、学位を持つ人は広い視野から体系立てて考える一定の能力がある。こういったことから、「専門家集団」のような感じになるのでしょう。だから外部の専門家とも長期的に渡り合える

国定:組織形態からすると、ドイツの場合は政治任用の「大臣」のような担当責任者がいますよね。彼らによってキャビネットに相当するようなものを組んでいます。だからこそ、専門家集団であるべきだと思うのです。
日本の住民自治は、首長を直接選挙で選ぶところしか担保されていません。またキャビネットも無い分、人事を横断的にしなければ、首長の能力にだけに一点集中する危険性があります。

「専門家集団」「キャビネット型」の性格を持つドイツ地方行政の様子について触れています。「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」(学芸出版 高松平藏 著)

高松:なるほど。

国定:制度的にいえば、人事異動で様々な部署を体験する制度のほうが合います。ある職員が「健康づくり課」の政策を練る時に、経済部に在籍していた時の知識を活用し、そこで横断的な知識やノウハウの活用が実現できる。たぶん、そこがその日本のジェネラリスト指向が成立した背景ではないかと思うのです。

高松:一定の説得力がある説明ですね。


日本にも専門性の高い職員はいるが・・・


高松:とはいえ、例えば文化政策などになってくると、専門家でないとできないことではないかと思うんです。 そのあたり、日本の自治体はどう対応しているでしょうか?

国定:一般行政の分野でも専門性を必要とするところは、日本でもキャリアの長い職員が多いですよ。例えば文化財とか、情報システムの分野となると20年選手とかがおります。

高松:確かに。私も心当たりあります。長年やっている人がいないわけでもない。

国定:ただ、それも制度的に保証されているわけではありません。それぞれの首長や人事部の方針に従って、たまたまなっているだけです。そこはドイツと日本の発想って違いますよね。

高松:そうですね。

国定:でも、中央省庁は違うのですよ。いわゆるキャリアと言われる国家一種。私もそうだったのですが、これがジェネラリスト。二種、三種の職員は専門職です。省庁の中で(各分野)多岐に渡るのですが、例えば、電波担当だったら電波放送ということを、ひたすらやり続けるというのは省庁の方がまだあるのかな。でも地方自治にはないですね。

高松:市長・職員の役割や課題はよくわかりました。次回は地方における公共性の在り方について考えていきたいと思います。(第4回へ続く

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第4回  地方における公共性と個人主義について考えた  に続きます

全6回 長電話対談 国定勇人×高松平藏
■町は首長次第で本当に変わるのか?■
第1回 志ある市民10人と 町を俯瞰する市長
第2回 市長は大統領よりも力がある
▶ 第3回 日本の公務員がジェネラリスト指向である理由
第4回 地方における公共性と個人主義について考えた
第5回 世界に伍する一流の地方都市にするには?
第6回 文化政策で地方都市を磨け
目次