文化政策で地方都市を磨け

公開日 2021年10月7日

長電話対談
国定勇人(前三条市長)
× 
高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

ドイツの地方都市の発展を見ていると、市長の役割もかなり大きい。では日本ではどうなのだろう?2020年に現職を退き、「日々の地方のリアリティ」から少し距離を取れる状況になった国定勇人さんと、地方自治体における首長の役割について話した。今回はいよいよ最終回、地方には文化政策が必要であるが、その「文化」とは何かを検討する。(対談日 2021年4月12日)

※対談当時の状況をもとにすすめています。

6回シリーズ 長電話対談 国定勇人×高松平藏
■町は市長次第で本当に変わるのか?■
第1回 志ある市民10人と 町を俯瞰する市長
第2回 市長は大統領よりも力がある
第3回 日本の公務員がジェネラリスト指向である理由
第4回 地方における公共性と個人主義について考えた
第5回 世界に伍する一流の地方都市にするには?
▶第6回 文化政策で地方都市を磨け
目次


「文化の弱さ」は日本の悪いところが出ている


高松:ドイツのケースですが、地方の文化政策は重要で、制度化されている。地方では文化大臣のようなポストがあって、文化から都市を造形しようという側面があります。

国定:なるほど。

国定 勇人(くにさだ いさと)
2003年に総務省から新潟県三条市に出向。2006年に一旦総務省に戻るが、三条市長選に立候補し、当選。2020年9月に辞職。現在、衆院選立候補に向けて準備中。1972年東京都千代田区神田神保町生まれ。
オフィシャルブログ:この地に尽くす!〜国定勇人(くにさだいさと)の日記〜

高松:アイデンティティ形成で大切なのが都市の歴史です。ドイツの自治体の場合、第一次資料を収集・保存・整理するアーカイブが義務。それを活用して展覧会を行うミュージアムがあるし、歴史本を作る非営利組織もある。日本でも自分の故郷を大切にし、誇りにすることはあるけど個人レベルの話です。故郷の歴史を「公共財」にして、町を形成していく力が弱い。

国定:文化政策は、日本の悪いところが完全に出ていると思います。ドイツの場合、個人と行政の間にはNPOに相当するフェラインなどがたくさんある社会空間のようのものがありますね。

高松:そうですね。そういう三層構造になっています。(第4回参照

高松 平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。「地方都市の発展」がテーマ。著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
昨年は次の2冊を出版。「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)、「ドイツの学校には なぜ 『部活』 がないのか」(2020年11月)。前者はスポーツ・健康の観点からみた都市計画や地域経済、行政・NPOの協力体制について。後者はドイツの日常的なコミュニティ「スポーツクラブ」が都市社会にどのように影響しているかについて書いている。1969年生まれ。プロフィール詳細はこちら

国定:日本も文化が花開く時期がありますが、それはパトロンがいたからと考えます。しかし、今はパトロンの担い手はいません。それに対してドイツは行政と社会領域が、そのパトロン的な役割を担っているのではないですか?行政が劇団や交響楽団を基礎自治体が抱えているのでしょうか?

高松:楽団、劇団はフェライン(ドイツのNPOのような組織)になっているケースが多いですが、自治体や州、企業、金融機関、個人からの寄付で運営していることも多い。それから、もちろん行政がまるまる抱えているケースもあります。私が住む人口11万人の町でも築300年の市営劇場があって、劇団というか俳優のグループを持っています。

国定:そうなのですか!


「文化」の意味やイメージは日独で異なる


関連記事:「文化は不可欠」となぜ明確にいえるのか?『政治メッセージ強い芸術に「嫌悪感」の理由』

高松:忘れられないのがね、20年以上前ですけど、日本のある文化施設での取材。「なぜ自治体に文化が必要なのか」と質問しましたが、明確に答えられる人がいませんでした。

国定:概念自体がおそらく存在しないということですね。

高松:コロナ禍の最初のほうで、メルケル首相が「文化は不可欠」と明言。日本でも「さすがドイツだ」という評価がでてきます。しかし、「文化」といっても日独では捉え方やイメージが異なる。

国定:想像つきます。

高松:本日の話にひきつけて言えば、文化がなくなってしまうと、極端にいえば自治体のアイデンティティを確固としたものにし、それを保全していくシステム自体が崩れるという話になってきます。

国定:なるほど、そういう考え方や取り組みは日本にはありません。というか、失われました。

高松:そうですね。よく引き合いに出すのがヨハネス・ラウ大統領(在任期間1999-2004年)の演説。文化とかスポーツというのは、ケーキの上の生クリームなどの「飾り」ではなく、スポンジの生地(=社会)をふくらませる「酵母」なんだという意味のことを述べています。

三条市とドイツ・エアランゲンを結んでオンラインで対談。国定勇人さん(左)、高松平藏(右)

国定:なるほど、ヨーロッパへ旅行に行くと、その意味がよくわかります。

高松:その結果、人口10万人程度の町で、実際の様子を見ると、300年前に作られた劇場が現代でも「生きた文化施設」です。専門の教育を受けた行政職員がいて、そして「文化大臣」に相当する人物が「我々の街にとって文化は・・・」と滔々と語るわけです。


神社の年中行事は実は大切な文化だ


国定:今おっしゃったような「文化」は、日本に残っているとしたら神社の年中行事がそうです。しかし、あれを文化だと思っている人はほとんどいないでしょう。でも高松さんが言うところの「文化の本質」だと思います。

高松:そうですね。

国定:神社の年中行事が、「要るか、要らないか」というふうに究極のことを問われると、それがわかります。それはヨーロッパと一緒で、要らないかもしれないけれども、その土地にとってみれば、やらねば気が済まない行事です。

高松:つまり、「我々の町だ」と人々に思わせる、精神的な要みたいになってくる。

国定:そうです。三条市だと金物太鼓が積極的に活動しています。でも、そこはまだショーアップの世界から抜け切れていない。つまり、ケーキのデコレーションから抜け切れてないように思えます。


「工場の祭典」の本質は文化政策


高松:私の目から見ると、広告代理店がやるようなマーケティングの発想が、日本社会で広い了解を得ており、行政にまで影響しています。「ゆるキャラ」などは完全にそうです。

国定:よく、わかります。

高松:それに対して印象的だったのが、「工場の祭典」について、国定さんがどこかのインタビューで答えていらっしゃった言葉。「集客数を問われると一応、答えるが、 『工場の祭典』 は集客が目的ではない」というもの。とても真っ当だなと思いました。

「燕三条 工場の祭典」は本質的には文化政策といえるだろう。画像は同プログラムのウェブサイト。


国定:ありがとうございます。本当にそう思っていますから。町のアイデンティティを維持していくには、その良きものを良き価値観で選択してくれる人と連帯しないといけないわけです。集客を目的にすると、そこを崩しかねません。

高松:おっしゃる通りだと思います。日本の地方自治体が外へ出ていくといったとき、そういう町のアイデンティティがないと、出ていけないんじゃないでしょうか。そのようなことを考えると、「工場の祭典」は本質的には文化政策だと私は思っています。


欧州に見る知的財産への貪欲さ


国定:最近、流れが変わってきて、「自分たちには自分たちの良さがある」というふうになり始めましたけど、きちんと言語化できるところまで行く必要があると思います。

高松:そうですね。

国定:「ヨーロッパすげえなあ」と思うのは、知的財産に対する貪欲さですね。それだけで荒稼ぎしているんじゃないの?って、言いたくなるぐらい。(笑)

高松:ドイツで生活すると愚痴レベルのものや、「アホちゃうか」と思うようなことも色々出てきます。それでも言語化されて構築された巨大な世界が確かにあり、それは圧倒的ですね。

国定:そうですよね。

高松:裏をかえせば、そういう圧倒的な価値体系があるから生き延びているとも思えます。


積み重ねていく発想


国定:ヨーロッパ人ってすごくないですか?空襲で徹底的に破壊された街を瓦礫1つずつ全部組み合わせて作り直すわけですからね。




高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら
文化政策で地方都市を磨くドイツとは?

高松:歴史は価値体系に不可欠で、都市の建物はその具体化したものということなのかもしれません。それにしても、見方を変えれば、あの執着心は異常。

国定:(良い意味で)ほんと、馬鹿じゃないのと思いますもん。 でも、あの執着心がヨーロッパを今のヨーロッパにさせたのだと思いますよ。

高松:ドイツの様子を見ていると、アップデートなんですよ。積み重ね。

国定:一見、無駄と思えることですが、歴史の積み重ねで文化にしていく

高松:そうやって圧倒的な価値体系を作っていくのでしょう。多くのドイツの都市の中心市街地は、都市の発祥地で古い建物が残る。歴史的に象徴的なエリアで街のアイデンティティを象徴する景観です。そして多くの町が歩行者ゾーンにしている。私が住むエアランゲン市もそうです。

国定:長年かけて歩行者ゾーンにもなったところですね。


歴史クラブはオタクの集まりではない


高松:はい。歩行者ゾーンはどこの町でも市街中心地につくることが多く、そのため歴史の再発見という意味合いもある。エアランゲンでも市街中心地のメインストリートを自動車乗り入れ禁止にして歩行者ゾーンにしようと言ったとき、政治的議論に当然なります。そこに郷土歴史フェライン(NPO、協会)の人たちが入ってくる。

国定:ほう。

ドイツの市街中心地は「自治体のヘソ」。歴史的景観を維持しており、それは都市のアイデンティティである。


高松:歴史的景観が保たれ、かつ歩ける街にしようということで、歴史と現代がつながっている。だから歴史のクラブといっても単なるマニアの集まりではない。エアランゲン市の歴史クラブは最盛期に800人程度のメンバーがいました。今でも500人以上います。歴史から町を見る一定の政治勢力になるわけですね。

国定:歴史オタクの集まりになると話も狭すぎる。歴史と現在が繋がらない。

高松:私の理解でいえば、ドイツの町は生産するところ、歴史などの文化があるところ、生活するところ、余暇を楽しむところといった複数の価値や機能をセットになったモジュールとして作ってきた。
それに対して、日本は経済成長のために列島全体を開発しましたが、地域は生産するところ、寝に帰るところ(ベッドタウン)というふうに地域を機能別にわけた。経済成長は一旦成功しましたが、モジュールとしての地域っていう発想が全くといって良いほど抜け落ちていた。

国定:まさにそうだと思います。しかし、探せば地域の元々のポテンシャルがあり、世界からの評価もあります。私も中に居るから分からない部分もありますが、市長に就任した時と比べると、遥かにそういう意識が強くなっているように思います。メディアを見ていると、決して東京発の情報ばかりが流れなくなってきています。そこは良い変化だと思いますね。(了)


対談を終えて

国定勇人さんとは市長をされている時期に知り合った。もし私が三条市の地域ジャーナリストなら、日常的な取材対象となり、日々密着しながら元気に批判記事を書いていたかもしれない。

しかし、普段は日本・ドイツと離れたところに住んでいる。帰国時に講演などで同市を訪問する機会が何度かあったが、町の一端を知り得たし、人々と話す機会もあった。そうすると、次に気になったのは、国定さんは政治力学が働く現場で、どのように意思決定をし、自治体の舵取りをされているのかということだった。

対談では日独の公共性のあり方の違い、日本でいう「文化」の実際の意味がドイツと異なることなどを改めて確認した。そして、市長に求められる知性と胆力とはどのようなものかも提示いただいた(第1回第2回)。これを知ると、市民は市長という権力を持つ人には批判的な視点も必要だが、同時に「市長の判断」を読み解く能力も求められるのではないかと思った。(高松平藏)


6回シリーズ 長電話対談 国定勇人×高松平藏
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