この数ヶ月、Facbookを見ているとチェーンメール型の投稿が増えた。本の表紙写真をリレー式で投稿する類だ。同時にzoom等ビデオアプリでの勉強会も増えた。市民の自由意思参加の文芸活動として考えてみたい。

2020年6月15日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

好きになれないその理由

SNSでのチェーンメール型(あるいは不幸の手紙型)のアクションがここ数ヶ月目立った。説明なしで、ただ本やCDのカバーをアップする類のもので、かなり多くの人が行っていた。

他にも自分の舞台写真の投稿、腕立て伏せ動画のリレーなどが目についた。

変わり種として能楽師による仕舞や謡曲のビデオリレーをするケースもあったが、これなどはむしろプロのアーティストによるSNS活動と分類したほうがいいかもしれない。実際、見応えがあった。

4名の能楽師が同じ仕舞「清経」を舞う動画もシェアされた

ひるがえって、チェーンメール型の投稿に反発や嫌悪感を示す人もいた。理由はいろいろあるだろう。

私もこれらの活動の根底に「つながること」を正しさ・善とする発想が強すぎると感じ、しっくりこなかった。数年前のアイス・バケツ・チャレンジ※に対する違和感もそうだ。(今も続いているのだろうか?)

※筋萎縮性側索硬化症の研究を支援運動。バケツに入った氷水を頭からかぶるか、またはアメリカALS協会に寄付をする運動。2014年にアメリカで始まり 、SNSを通して 他国に広がった(参照:ウィキペディア

個人的には俳優パトリック・スチュワートさんの「アイス・バケツ」は好きだった

日本の「友達」はとても饒舌

一方、チェーンメール型のコンテンツシェアという、流通システムの新規性は確かにある。20世紀では郵便制度を使って「不幸の手紙」ぐらいしかできなかった。

ブックチャレンジ を見ると、私の知る範囲ではドイツの「友達」の間でもおこった。ただ日本の「友達」は、表紙だけのアップというルールは無視し、饒舌になった。

この差は何かよくわからない。だが日独どちらの「友達」も個人的に若い時に影響を受けた本をアップする人が多い印象があり、これはこれで面白かった。

というのも思い出や自分の研究に影響を受けた学術的ルーツの「語り」を通じて、「友達」の人となりを知る一端になったからだ。また、面白そうな本を知る機会にもなった。

ブックチャレンジの類に違和感を覚えた人もいるが、多くの人は「それを表明しにくい」と感じたようだ。

私にもブックチャレンジが複数の人からまわってきた。
違和感もあったので逡巡したが、一度だけやってみた。普段の問題意識とコロナに引っ掛けたものをアップしたが、本によって反応する人が異なるのが面白かった。

俯瞰すると、自己表現、共通の関心を知り合う、知識の交換。本を使ってこんなことが起こっている。チェーンメール型の文芸活動といえそうだ。

18世紀末の読書クラブの発展?

コロナ禍ではビデオ会議システムの活用も増えた。会議のほかに飲み会や、スポーツエクササイズなど幅広く使われている。

勉強会の類もよく行われている。私も喋る機会をいただいた。加えてzoomでなにができるかを試すために講演を自主開催してみた。

私のはなしをベースにさまざまな人の意見や体験が加わる。これによって知的な刺激を受けるところに面白さを感じている方もいらっしゃるようだった。自宅でイヤホンで聞くので、話に集中しやすいということもあるかもしれない。

自由意思で参加する講演や勉強会の類は21世紀版の読書クラブ?
もっとも大学教員など教壇に立つ人も学生側もツールががらりと変わって苦労しているケースも多い。私もオンラインで喋るのはなかなか慣れない。

ブックチャレンジやオンライン講演会を見ていると、近代市民社会の苗床になったカフェハウスや読書クラブと重ねて見える。

18世紀末に欧州各地でおこった読書クラブは身分・性別・職業を越え、読書と議論を目的に集まる同好の士の集まりだ。21世紀になって、空間も超えることができたかたちだ。

今後ネットによる活動が、どう展開するかはわからない。だが、これらもまたコロナ禍の副産物のひとつである。(了)

 執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。 最新刊は「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)
一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら