「内向きの若者」「右傾化の高齢者」が日本で増えていると聞く。ドイツから見ていると教養を軽視してきた150年の結果に思える。しかし、「内向きではない若者」も確実にいる。昨年感じた日本の印象と私の実感を記しておく。

2020年1月1日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

■日本の鈍さ

スゥエーデンの 環境運動家、グレタ・トゥーンベリさんや、彼女がはじめた気候変動運動「未来のための金曜日」がよく知られるようになったのは、9月23日に国連で行った演説だろう。

その少し前に世界中でデモ「未来のための金曜日」が行われた。不確かな情報なのだが、日本全国で5000人の人がデモに参加したと聞いた。
「ほー、結構いるじゃないか」と思う人もおられるかもしれない。
しかし、報道によると私が住むエアランゲン市(人口11万人)で5000人が市街地の広場に集まった。

この手の運動に対して、とかく日本は鈍い。
確かにスゥエーデン発の気候運動という、地理的な距離も考慮しなければならないかもしれない。それにしてもドイツ国内での報道を見ていると、9月の国連演説のずっと前から、賛成も反対も含めて、政治経済の分野で彼女の存在と主張と関連付けながら議論がかなりおこっていた。

エアランゲン市市街地の広場のデモ(2019年9月20日)

実はトゥーンベリさんの一件のみならず、「日本の鈍さ」を時々感じることがある。ドイツで日本をよく知る人(私の妻ではない)からも同様の印象を聞かされたことがある。「Yhoo!ニュース」の英米日を比較すると、日本は芸能関係のニュースの割合が極端に多いそうだが、これなども「日本の鈍さ」を示す一例かもしれない。

■教養軽視、実利第一のツケ

この「鈍さ」とは何かと考えてみると、「内向きの若者」「右傾化する高齢者」の態度に見いだせるように思えた。そして、こういう傾向の人たちの存在が大きくなるのは、日本のこの150年の結果に見える。

この150年、日本は「富国強兵」にはじまり、戦後は「富国」で走りきった。西欧諸国に追いつけ、追い越せ、という基本姿勢だ。ここで重要なのは富国のために役に立つかか否かという「実利」だ。

戦後、国際政治の状況も手伝って「富国」については、ひとまず成功した。しかし、実利と両輪であるはずの「教養」を軽視してきた。

実利第一で作ってきた「富国」がボロボロになってきている時こそ、社会の安定性とダイナミズムが大切で、必要になってくるのが教養だ。教養は世界と歴史を見渡す基礎を作り、寛容な態度を作る。そして意見形成のプロセスが豊かになる。 教養ありきならば、イデオロギー的に右でも左でも問題ではない。

ところが、若者は外への目をとじている。高齢者は「没落富国」の社会に不安を覚え、排除性の高い愛国心を高めることで、それを払拭しようとする── 私にはそんなふうに見える。これは「教養」を軽視してきた国の結果で、先述した「日本の鈍さ」の一角はこういう人たちが占めているのではないか。

■確実にいる、「内向き」ではない人々

ところで、日本から当方を訪ねてくださる若い人が時々いる。偶然なのかもしれないが、2019年は例年より、ほんの少し多かった。

大学4年間のうち、就活のために結構時間を割かねばならないというバカバカしい時代にあって、「単身で外国へ」「留学」というのは勇気がいることだろう。加えて、面識のない当方に連絡をとるという行動力に感心する。そして、ギラギラした上昇志向の塊というよりも、自分と社会を関連付けながら、よく考え、よく勉強している人が多い。

「内向き」ではない人は確実にいる。こういう人が増えると「日本の鈍さ」がなくなってくるように思えてならない。

だからこそ、中高年は、そういう人たち増やし、活躍できる環境作りを考えねばならない。「そんなこと私にはできない」という人もいるだろうが、頭を柔軟に、かつ経験を重ねてできた専門性や能力を高めつつ、視野を広げていくべきだろう。そうすることで、少なくとも「内向きではない若者」ときちんと目を見て対峙できるはずだ。中年の一人として私も心がけたい。(了)

 執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。当サイトの主宰者