コロナウィルスの蔓延はまさに歴史的な出来事だ。「爆弾が落ちてこない戦争」と「グローバルな休憩」が同時におこっているような印象を持つ。休憩の影響は自然環境の改善につながっているようだ。

2020年3月20日 文・高松平藏 (ドイツ在住ジャーナリスト)

■爆弾が落ちてこない戦争

コロナウィルスの蔓延で、筆者が住むドイツでは3月はじめごろから、じわじわと社会的な制限が出てくる。

最初は感染リスクの高い国から戻ってきた人にする自宅待機。次第に見本市や大規模イベントの中止、そして文化施設閉鎖。スポーツも競技大会は言うに及ばず、普段のトレーニングまで中止。レストランの営業時間も短くなってくる。

第二次世界大戦が始まると、歌舞音曲が少しづつなりを潜め、社会そのものが暗くなっていったと聞く。社会的制限が徐々にかかってくるあたりは、「爆弾が落ちてこない戦争」のようだ。

もっとも、ドイツ当局による制限は、ドイツ都市の歴史的な感覚も手伝っているようにも感じる。都市は安全で公衆衛生上の問題のない、信頼性の高い公共空間を作ろうとしてきた経緯があり、それを取り戻そうとしている。そんな印象を受けるのである。(参考: 欧州で人々はなぜマスクをしないのか考えた

■ヴェネチアの水質が改善した

「爆弾が落ちてこない戦争」と同時に、「グローバルな休憩」も起こっている。

もちろん「休憩」ではなく、「停滞」とも捉えることはできる。人々の行き来がなくなり、工業製品の部品の流通なども滞る。経済的な損失は言うまでもない。

グローバル化とはヒト・モノ・カネが世界中に移動する。消費余暇活動では観光地にツーリストが集中する「オーバーツーリズム」などが問題になっていた。

しかし、「グローバルな休憩」によって、 イタリアのヴェネチアで、クルーズ船が止まった。そのせいか、ラグーン(潟)の水質改善したという。(2020年3月18日 エアランガーナッハリヒテン紙)
おそらく、クルーズ船が動かなくなって1ヶ月もたっていないのではないか。

■経済が停滞すると、自然が元気を取り戻す?

「グローバルな休憩」が続くと、不都合なことがもっと増えるだろう。しかし、自然環境改善の報告は、今後も引き続き出てくるに違いない。

さて、コロナ問題で忘れ去られた感もあるSDGs(持続可能な開発目標)を見てみよう。(それでも日本のエライ人が会見する動画を見ると、SDGsのバッジがついていることがある)

SDGsは、経済、社会、そして環境のバランスをとることでもある。 だから経済活動の著しい停滞は、決して「持続可能」な状態ではない。それにしても、経済活動がほんの少し「遠慮」するだけで、自然環境が「元気を取り戻す」ということが如実に表れているように思う。これはコロナウィルスが見せてくれた驚きの一面だ。

コロナウィルスが収束したあとも、「グローバルな休憩」を人為的につくってみるのもいい。だが再びグローバルな活動が戻ってくると、現実的な話ではなくなるだろう。「一斉に1時間だけ電気を消す日」というのがあるが、これは自然保護への連帯を示すものだ。こういうものを少し拡大してみるだけでもよいかもしれない。(了)

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。 最新刊は「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)
一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら