若者による反人種主義のデモ(2015年 エアランゲン市)

住まいする町の地元紙を購読しているが、3月以降コロナ関連の記事が毎日、かなりの分量があった。ところが昨日8日付の紙面では反人種主義の記事のほうが多かった。所感を記しておく。

2020年6月9日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

今回の反人種主義の声はものすごく多い印象がある。「ジョージ・フロイドさんの残酷な死」に加え、「トランプ大統領」「SNS」そんな要素が編み上がっていき、爆発的に声が増えたのではないか。 ドイツでも各地でデモがおこっている。申請以上の人数が集まるため、連邦健康大臣は感染の懸念も示している。

参考: 正しい「手続き」としてのデモ、コロナ禍のドイツ

差別は感情だ。「自分たち」と異なる人間を識別することで用心するといった危機対策の本能であったり、不快感の排除といったこともあるだろう。あるいは自尊心・優越感を得るといったこともある。

だが人間の理性は「人間の尊厳」を発明した。差別問題の解決はこれを軸に個人の感情、社会性、政治性を方向付ることができるかがカギだと私は考える。そしてドイツは憲法にあたる基本法で人間の尊厳を明確に掲げている。

参考:

さらに、ドイツの特殊性をいえば、戦時中の罪が国を造形する一部になっている点だ。これは日本でも評価する人も多い。

エアランゲン市で行った「頭の布のアート」展の絵葉書(2019年)

しかしながら依然、人種、宗教、性別などに対する差別がドイツにもあるし、一部は残忍化の傾向もある。極右政党もここ数年で活発化している。

だが救いもある。
私が住むエアランゲン市(11万人)を見ると、頻繁に「人間の尊厳」や「反人種主義」のデモの類が行われる。私はドイツで差別を受けたことはないが、それでも「アジア系外国人」という認識は出てくる。その立場から見ると、デモの類を見ると、心強く感じるとことすらある。

昨年、市内で半年余り展示した私の写真展「頭の布のアート」もそんな流れのひとつだ。スカーフをするイスラム系女性への視線は偏見に満ちている。スカーフを着用した様々な写真を並べることで、イスラム系女性のスカーフの意味を相対化。作品を通じて社会の議論の活発化を狙ったが、これは同時に「ジャーナリスト」「外国系市民」としての活動でもあった。

人間に感情がある限り、差別は永遠になくならない。そう考えると、「人間の尊厳」から社会の状況を常に確認することは必要である。そして「戦時中の罪を国の一部にする」というドイツの国の構造がとても重要に思えるのだ。(了)

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。 最新刊は「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)
一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら