SDGsは国際的な取り組みなので、ドイツでも連邦レベルや大企業によるペーパーでは早くから目にすることもあった。それにしても日常でほとんど聞くことがないし、バッジを付けた人も見たことがない。そんな中、人口11万人の自治体が「持続可能性レポート」を作成。SDGsを援用した内容だが、これまで歴史的に欧州が育んできた「価値」を確認している。

月刊誌「市政」2021年2月号寄稿分を加筆修正

2022年1月14日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


11万人の都市が持続可能性レポート発行


筆者が住むエアランゲン市(人口11万人、バイエルン州)の環境局が、2020年12月に150ページ余りの自治体の「持続可能性レポート」を発行。SDGsの17の目標に沿って同市の現状が描かれている。

同市はハイテク分野、特に医療技術関連に強く、大学をはじめ基礎・応用の複数の研究所がある「学術・研究都市」だ。さらに一人あたりのGDPは国内でトップクラス。また1970年代から環境問題に先駆的に取り組んだ都市のひとつで、90年代初頭に自治体の環境コンテストで「環境首都」という称号を2度受けている。詳細は拙著をご高覧いただければと思う。

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こういう都市なので、早くから都市計画局は「経済・環境・社会」を結ぶ持続可能性を都市戦略として掲げていた。また、ドイツ持続可能性賞財団よる自治体コンテストがあるが、10万人以上の都市部門でトップ3に入ったこともある。

そんな中、なぜ今SDGsを前面に押し出すのだろうか。
同レポートでは、はSDGs が発展途上国・新興国のみならずいわゆる先進国にも適用されるもので、もちろん各自治体も対象であるという点を確認している。

SDGsは国連レベルの取り組みだが、「ドイツの自治体ではSDGsがあまり知られていない」(ベルテルスマン財団ホームページより)。これを受け、同財団のもと、ドイツ都市協会など8つの関連組織が協力して「自治体SDGs指標」が作成されている(2017年)。この取り組みは連邦経済協力開発省からの資金で進められている。

しかし、外国人の私の印象でいうと、ドイツにとって「SDGsの看板がなぜいまさら必要なのか」ということが、一般に広がりにくい遠因に見える。


都市の全体像を見ることをより進める


着目したいのが、 ベルテルスマン 財団がSDGsを自治体レベルにまで適用をすすめる理由だ。

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「まちづくり」は発想的にいえば部分最適を目指すもの。ドイツは「下からのデモクラシー」で市民が参加し、「全体像」を見ながら都市の全体最適を目指す傾向が強い。

同財団によると、自治体の持続可能性を念頭においた既存取り組みは、自治体内の様々な関係者の参加が不十分だという。これを受け、自治体SDGs指標は効果的な持続可能性マネジメントを目的にしている。

ここでいう「効果的」とはどういう意味だろうか。

例えば、あるレベルまで自転車道がすでに実現されている場合、自転車道の整備よりも、自転車置き場や、電気自動車の充電ステーション、公共交通の開発への投資を優先すべきだというのだ。つまり、全体像をつかみ、その中で優先順位をつけて、自治体全体の持続可能性を高めるべきということである。

もっとも、この発想はドイツの自治体にもともと強く見られる傾向である。それを鑑みると、「自治体SDGs指標」は、もともとある「全体像をつかむ」という性質と実によくあっている。エアランゲン市の「持続可能性レポート」 では、その性質をもっと強めていきましょうと述べているかたちだ。


「人間の尊厳」を中心にした倫理地図


ところで「持続可能性レポート」によると、同市はSDGsのどの分野もすでに高いレベルで実現している。その上でどの部分を強化すべきかとゴールを設定している。

見るべきは、市民こそが中心と確認している点だ。特に「貧困」は持続可能性の中核的な要素としている。というのも貧困は市民一人ひとりの文化や健康、社会・政治参加など多くの分野に影響するからだ。実際、長期の失業が続くと政治参加する人が減るという調査もある。デモクラシーをことさら大切にするドイツにとって、これは避けたいことだ。

そして、ここにある「個人像」は「自己決定できる私でいられること」「人間の尊厳を持った生活ができること」である。もとより「人間の尊厳は不可侵」とドイツでは明言している。これを改めてSDGsを使って確認されているかたちだ。

最後に日本を見る。

首長や企業人がバッジをつけるなど、当初から、筆者にとってなぜあれほどSDGsが強調されるのか不思議でしかたがなかった。

そして厳しい言い方をすると、大騒ぎするわりに「人間の尊厳」を中核にした議論がほとんど見当たらない。もう数年前のことだが、日本のある高校の授業でSDGsを扱うことがあり、そのテスト内容が17の項目を書かせることだと小耳にはさんだ。なんとも日本らしいと苦笑した。

他方、資本主義への批判を始め、経済・社会システムに倫理的価値をいかに実装するかが今日の課題だ。日本におけるSDGsの意義をいえば、欧州で育まれた人間の尊厳を中心にした「倫理地図」を獲得したことだといえる。この点を真摯に議論しながら積極的に活用すべきだろう。(了)


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。