写真=ドイツ・エアランゲン市(人口11万人)の市営劇場。約300年前に作られた。

政治的発言や政治色の強い芸術に、何かしら忌避感がある日本。その理由はドイツと比べたときに説明がつきそうだ。カギは「文化」をどう捉えているかの違いにある。

2021年7月21日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


文化」の意味、日独では違うと考えたほうがよい


西洋の芸術は、政治や社会への批判・皮肉・問題提起といったものと関連付けているものが多い、ということを若いころ知った。ドイツを見ると、確かにそうなんだが、当時の私にはなぜ芸術が政治や社会と結び付くのか理解できなかった。ドイツと比べたときに、その理由は大きく2点ある。

  1. 芸術を含む「文化」という言葉。直訳はできるが、日本とドイツでは中身は別物。
  2. デモクラシーに基づく政治教育が日本で皆無といってもよい。

「文化」の意味は幅広く、定義するのもなかなか難しい。しかし本稿でのテーマに引き付けていえば、

1, 自己を定義し
2. 他者との関係を作り、
3. その関係を通して自己を発展させること。

そういうダイナミズムを生み出すのが「文化」のひとつの役割と説明できるだろう。


投票よりも意見形成がまず大切だ


目を転じて、デモクラシーといえば議会制民主主義の話になる。これが地域や生活と一直線につながっているのがドイツである。

議会制民主主義に大切なのは投票だ。だが、誰に投票するかという自分の意見を作ることは、もっと重要だ。

ドイツ11万人の都市で行われる文学フェスティバルの一部で、ロシアの「禁じられた芸術」展が行われた(2012年)。モスクワ出身の女性によるパンクロックバンド「プッシー・ライオット」を示す人形も展示。同バンドはカラフルな衣装に目出し帽というのが衣装。フェミニストで、政府、教会に批判的。同年逮捕された。ドイツの地方都市には文化フェスティバルも多いが、政治・社会に対する問題提起を扱うことも多い。


では意見の形成には何が必要か?
それは現在の「政治の状態」「社会の状況」を知ること。そして自分の利益・立場・信条などと関連付けた意見を自由に表明し、また他者との意見交換を行う。こうしたことを通じて場合によっては意見が変わるかもしれない。それにしても、自分の意見に説得力や深み、視野の広さが加わっていく。

ただこの時に「人間の尊厳」を貶めるのは論外。自由な意見表明よりも「人間の尊厳」が優先する。ヘイトスピーチが「自由な意見表明」ではない理由がここにある。

さて、こうした上での投票は政治を左右する。特に地域政治は人々にとって、参加することと地域の状態が関連していることを実感する部分だ。デモクラシーには参加が不可欠だが、ドイツが「下からのデモクラシー」を重要視していることと符合する。そして地域社会を見ても、こういう方向性の政治教育の仕組みがかなり構築されている。


市営劇場はデモクラシーの活力のための機関


次に「芸術」を見てみよう。
例としてドイツの地方劇場が自分たちの「使命」をどう考えているかにふれる。私が住む人口11万人の町の市営劇場(=冒頭写真)の場合、劇場自体が出会いの場であり、社会のフォーラムだと考えている。そして、(作品のかたちで)代替案やカウンターイメージを作る。いわば現代の社会問題を芸術的にとり扱い、人々の批判や議論を刺激する。
以上のようなことが劇場の社会的責任と考えている。

他の町の劇場や劇団でも同様のことを使命として掲げているのが散見されるので、この劇場だけが特別ではない。

フュルト市(人口11万人)の市営劇場。1904年に市民の希望で作られた。

また、国や行政府自体が「自由な意見表明」「多くの討論」がある状態を「ドイツ」にとって大切なことと捉えている。だから、常にそういう状態を保障しようとしている。そのために「文化」が必要不可欠なものなのだ。言いかえれば劇場がなくなれば、デモクラシーの活力に影響するわけだ。

以上のように見ていくと、日本における「文化」「芸術」「デモクラシー」の関連性や捉え方が異なっているのがわかる。


政治的メッセージの強い芸術へのアレルギーは当然


デモクラシーは社会の在り方を方向づけるための「主義」、というより社会の在り方を決めていく「システム(制度・方式)」だ。そして、完成形がなく、時代の変化や新しいテクノロジーの登場などに影響を受ける。極めて不安定で、脆弱なものだ。こういうシステムは常にメンテナンスとアップグレードが必要である。

また国や地域によって、その性質も異なる。ドイツの場合、ナチスという歴史的体験があるので、デモクラシーが不全に陥らず、まともに動き続くことが至上命題。これが文化や芸術、教育とも大きく関連している背景だ。同時にデモクラシーの理想形を検討し、それを実装しようという力が常に動いている。

一方、日本で政治的メッセージが強い芸術に対してアレルギーがあるのも当然といえる。なぜなら、デモクラシーとは何かという確認や、これが市民主権の実装に使われるようにしていく取り組みが、ほとんど行われてこなかったからだ。気にかけられているのは「投票率」だが、これはデモクラシーの氷山のほんの一角にすぎない。

それにしても日本は(一応)「デモクラシー」の国である。
経済が上り調子のときは、なんとなく世の中、全てがうまくいっているような感覚が支配した。現在もGDPは世界でトップクラスだが、その中身はボロボロ。それに呼応するかのように、社会的な問題も噴出して久しい。この現状に対して、「応急処置」も必要だが、長期的にはデモクラシーというシステムを、活力あるものにすることを考えるべきだと思う。(了)


高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら

スポーツはデモクラシーをつくる
文化は飾りではない

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。