社交ダンスが盛んなドイツ。政党、職業別など各分野で行われる舞踏会はまさに社交様式。ある町で行われる「スポーツマンのための舞踏会」を見ると、ドイツの都市社会、スポーツ文化の一端が浮きあがってくる。

2021年1月19日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


800人が参加するスポーツマンのための舞踏会


私が住むエアランゲン市(人口11万人)で、毎年1月に「スポーツマンのための舞踏会」が開催される。ドイツにはNPOのような非営利法人によるスポーツクラブが約9万。全人口の3割の老若男女がなんらかのクラブのメンバーだ。

スポーツの雰囲気を演出するエントランス。体操クラブの若者が「トンネル」を作って参加者を歓迎。(2020年1月のスポーツマンのための舞踏会 撮影=筆者)


これだけクラブが多いと、スポーツを通じたコミュニティが地域社会の中で大きな存在感と意味がある。

日本語にするとピンときにくいかもしれないが「スポーツクラブは社会のガソリンスタンド」という表現がなされることもある。社交機会が盛んなほど、社会全体の紐帯を強くし、社会のダイナミズムに繋がりやすいが、その「燃料」となるのが、スポーツクラブでの社交ということだろう。

同市内では約100のスポーツクラブがあるが、舞踏会の主催は町のスポーツクラブをとりまとめる協会。しかし申し込めば誰でも参加できるので、社交ダンスが趣味という人が踊るために来るケースもある。

生バンドの演奏に合わせて踊る(2020年1月のスポーツマンのための舞踏会 撮影=筆者)


とはいえ、当然のことながら参加者は、市内のスポーツクラブの関係者やメンバーが多い。そのほかにも地元紙のスポーツ担当記者はじめ、市長夫妻、市のスポーツ部署の部長、スポーツ政策に関与している議員などが顔を並べる。

日常的にスポーツクラブは「社会のガソリンスタンド」だが、舞踏会は社交機会のハイライトだ。


社交ダンスは教養だ


日本で社交ダンスといえば競技として取り組む人が多い。しかし、ドイツの様子を見ていると、「教養」「余暇」「健康」としての側面が大きい。だからこそ、各分野での舞踏会が成り立つ。

日本のスポーツマンといえば、言葉は悪いが、「筋肉馬鹿」「脳みそが筋肉」といった類の侮蔑の言葉がある。勝利至上主義による犠牲者のような人が一定数いる。

それに対して、ドイツの人々はトップアスリートですら「競技は人生の一部分」という考えが大きい。そのせいか「教養」「勉学」といった部分もバランス良く取り組む人が多い。

その結果、いわゆる「柔道馬鹿」「サッカー馬鹿」のように見える若者でも、優雅にダンスを楽しむ姿がある。

スポーツを強調した会場内(2020年1月のスポーツマンのための舞踏会 撮影=筆者)


こういった様子を見ると、ドイツのスポーツ文化、ドイツの人々にとってスポーツの特性がよく見えるのだ。

ただ、今年の舞踏会は、早々に中止が発表された。コロナ禍の生活がそろそろ1年になるが、華やかな舞踏会の雰囲気が夢のようにすら思われてくる。来年は通常通り開催されることに期待したい。(了)


著書紹介(詳しくはこちら
都市社会の中の社交ダンスや「スポーツマンのための舞踏会」について下記の拙著で触れています。


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら