ドイツ地方紙から取材を受けた。この一件から、ローカルジャーナリズムの存在、ドイツのスポーツの捉え方などが浮かび上がる。

このほど、私が住む町で発行される新聞に柔道家として取材を受けた。タイトルを意訳すると「黒帯までの長い道」。記事の超抄訳とともに「解題」風の所感を書き留めておきたい。ジャーナリストとしては時々取材を受けるが、「柔道家」としては初めて。

2023年8月31日 高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


初段昇進がきっかけだった


2023年6月23日付 エアランガーナッハリヒテン紙。地方のスポーツ・ジャーナリズムの健在ぶりがよくわかる。

昨年12月、ドイツで初段を取ったが、取材はそれを受けてのものだ。ドイツの昇段システムは形(かた)、技術(立技・寝技)、試験官との口頭試験がある。こういう試験があるので、早くからの準備が必要だ。不器用な私にとっては時間のかかるものだったが、さらにコロナ禍で、受験の機会を何度も逸した。

※参考記事「ドイツ柔道:昇段試験に見るドイツらしさ

昇段試験はあくまでも「レクリエーション・アスリート」としての、余暇を使ったささやかな「挑戦」だったが、記事ではそのストーリーを描いてくれた。

マックス・ダウハンザー記者は私に興味を持って持ってくれて、取材の後も追加の質問がきた。同業者なのでよくわかるのだが、取材対象が興味深く、情報を貪欲に取り込むのはいいが、限られた文字数で、どういう切り口でまとめるのかは結構大変だ。「どうするのかなあ」とちょっと気になっていたが、いい記事に仕上げてくれた。

また、ドイツは地方紙が充実しているが、この紙面も「地方のスポーツ」のページであり、アマチュアの試合の活躍や、試合の結果の掲載、そしてスポーツクラブや地域でスポーツ分野で活躍している人を適宜掲載している。こうしたローカル・スポーツジャーナリズムの存在は地域スポーツを盛り立てる大きな要素である。

私の記事の話に戻ると「ドイツで柔道を始めた日本人」で「『近代JUDO』に10年間連載していたジャーナリスト」、というあたりも素材として悪くはなかったのだろう。記事では「柔道が日本・ドイツ文化の交差点になっていること」「外国系市民(私のことだ)が柔道を通して都市社会に参加」ということも描き出せていた。以下、新聞記事の抄訳を掲載しておく。


2023年6月23日付 エアランガーナッハリヒテン紙 超抄訳

黒帯までの長い道

文・マックス・ダウハンザー

高松平藏の顔に笑みが広がる。額には汗が浮かんでいる。呼吸も荒いが、それでも彼は嬉しそうだ。トレーナーのクリスティアン・エミリウスとの乱取りを終えたばかりだ。

「もうそんなに若くはないんだよ」と高松は自分について語り、笑みを浮かべた。だが彼自身は健康で、(運動・社交・健康などを目的にした)「幅広い柔道」ではかなりの成功を収めている。高松平藏は1969年、日本の奈良県で生まれた。ドイツ人の妻とは京都で出会った。1996年に結婚。2002年に妻の故郷であるエアランゲンに移り住んだ。2人の間には3人の子供がいる。

2005年、高松の長女 が最初に柔道を始めた。それから1年も経たないうちに、父親も柔道を始めた。「とてもラックスができて楽しかった」と高松は言う。子供たちが小さかった頃は、毎週金曜日に平藏パパは一緒に「ファミリーコース」に通っていた。その後、彼だけが柔道を続けた。

そして昨年末、彼は黒帯(初段)取得という節目を迎えた。「ようやくだよ」と彼は笑う。というのも、高松平藏がその「称号」を腰に巻くまでには長い時間が必要だったからだ。彼は2019年から昇段試験の準備を始めた。しかし、パンデミックが起こり、コロナのせいで道場は閉鎖。いずれにせよ試験は問題外だった。

畳の上の多文化共生

やがてパンデミックの中でも状況は改善され、高松は熱心にトレーニングを続けた。2022年3月には2回の試験のうち1回目に合格し、残りの試験も昨年12月に合格した。彼は余暇を利用し、レクリエーション・アスリートとして挑戦したのだ、と強調する。「特に友人であり、パートナーであり、トレーナーでもあるクリスティアンには、感謝の気持ちでいっぱいだ。彼がいなければ、成し遂げられなかっただろう」。高松はそう確信している。「柔道は私にとって単なる趣味ではなく、外国人として新しい友人を作り、ドイツの都市社会に参加するための手段でもある」と、高松はかつて語っている。

高松は柔道家であるだけでなく、ジャーナリストでもある。2011年から2021年まで、日本の柔道雑誌「近代JUDO」にコラムを連載していた。彼のテーマは国際柔道ではなく、ドイツの柔道だ。ドイツのスポーツクラブの文化を日本の読者に伝えるのはとても難しかったという。しかし、彼は工夫を凝らした。

ドイツのクラブ文化を評価

別のトレーナー、クラウス・ローラーは高松を高く評価している。日本出身の高松は、実は日本の伝統的なスポーツをドイツで初めて学んだ。「それは珍しいことだ」とローラーは言う。「日本にはたくさんの(試合に強い)アスリートがいる。しかし、彼はその中の一人ではなく(社会的にも価値がある)『幅広い柔道』に邁進した」。

高松は「日本のスポーツ文化は好きではない」と言う。なぜなら、(健康・運動・社交などを目的にした)「幅広い柔道」が日本にほとんどないからだ。日本で柔道を練習しているほとんどの人は、トップを目指したいと思っていて、競技スポーツを求めている。加えて、すべてが非常に階層的な人間関係が組織されている。

それに対してドイツは事情が違う。ドイツのスポーツクラブでは、スポーツを楽しむために柔道をすることができる。さらに、そこには大きな社会的なコミュニティがある、と高松は言う。かつて彼は柔道を「ドイツと日本の文化が出会う交差点」と表現したことがある。(了)


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スポーツと社会の関係についてたっぷり書きました

地方都市の魅力を高めるスポーツ
スポーツとデモクラシーがなぜつながるのか?

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。