和歌山の柔道場で、柔道を応用した高齢者向けのコースが実施されている。人口動態の変化を考えると、社会的に意義のある柔道の「応用」だ。( 蔵出し記事/ 雑誌「近代JUDO」2017年8月号執筆分に追加改編)

2020年1月31日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

■転倒リスク対策?その名は「ころ健」 

2017年のことである。一時帰国したとき、柔道と勉強の両方を指導する道場、紀柔館(和歌山市)を訪問した。

館長の腹巻宏一さんは早くから「勝利至上主義」の柔道に疑問を持ち、子供向けのコースでは遊びの要素を取り入れたり、マイペースで柔道を楽しめる成人対象のグループを作るなど、常に柔道のあり方について試行錯誤を行っている。

「紀柔館」館長、腹巻宏一さん

この年の4月から始めたのが「転び方健康教室」。通称「ころ健」という、いささか奇妙な名称のコースで、対象は高齢者だ。

走り回って遊ぶ小さな子供は日常的によく転ぶ。だが大人になると、普通の生活で転ぶことは稀だ。筋力やバランス感覚があるうちは、多少転んでも致命傷になることは少ないが、高齢者となると大変だ。ちょっとした段差などで転ぶこともあり、骨折などで寝込むようなことがあると認知症につながることさえある。

そういうリスクに対して、まず頭部を保護し、衝撃を分散しつつ、無理のない転び方を習得したほうがよいというのが「ころ健」の考え方だ。

■無理のない転び方の最終型は「座り方手順」

筆者が訪問したときは、男性2人、女性3人が参加。いずれも高齢の方だが、中には80代の人もいる。コース内容を文章でお伝えするのは難しいが、印象的だったことを書き示す。

まず体をほぐすところからはじめ、やがて足を伸ばして座った状態で、柔道の後ろ受身のように「ころりん」と後ろへ転がるといった動きにはいる。次に合気道の稽古法をヒントに考案した棒を使いながらバランス感覚を刺激するような体つかいを行う(=下写真)。これだけでも身体感覚が活性化し、高齢者にとって価値があるのではないか。

それから、このコースのために腹巻さんは複数のメニューを開発した。そのひとつに、安全かつ負担の少ない「立ち方・座り方」の手順がある。文章ではその動きを説明しにくいのだが、「無理のない転び方の最終型は『座り方手順』をベースとしたものを想定している」と同氏はいう。

このセット、筆者も体験した。とりわけ「立ち方」が興味深かった。重心移動などを利用し、腰への負担を和らげながら立ち上がるという手順なのだが、これは同時に脚筋力のトレーニングにも繋がるという。柔道の原理は重心移動を利用した身体の物理学ともいえるが、そうした発想を反映したものといえるだろう。

■柔道の社会的課題への応用

昨今、体罰や重篤な事故発生など、既存の体育会系発想の「柔道」は批判も多く、内部からもさまざまな議論がある。一方で技術、哲学、人材など柔道には「資源」がたくさんある。社会変化を見据えてどのような「柔道」に変化させるべきかが問われている。

筆者が住むドイツを見ると人口動態の変化を見越して、さまざまな議論や政策が行われているが、スポーツ分野も例外ではない。スポーツは社会の一部であり、かつ社会をつくるエンジンのひとつだからだ。

ひるがえって日本は目下、高齢化社会へ突き進んでいる。人々の寿命が伸びると次に出てくる課題が健康寿命の延伸だ。健康な人が増えれば、それだけ医療費などの削減につながる。何よりも社会に参加し続ける人が増える。健康寿命の延伸という社会的課題に対して腹巻さんは柔道を応用しているかたちだ。 (了)

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。当サイトの主宰者。著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。一時帰国で講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら