ニュルンベルク市に新しい技術大学の設立が計画されている。目をひくのは文系の学科をきちんとおいていることだ。

2020年2月4日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


人文学、社会科学が必修


ニュルンベルク市(人口約50万人、バイエルン州)に「ニュルンベルク技術大学」を設立する動きがある。 大学のコンセプトとして人文学や社会科学を必修にする。未来の科学は、技術も重要だが、それに伴う倫理的課題も同じぐらい重要な問だからだ。

大学は2020年代に設立する方向で動いているが、技術とともに人文学や社会学を必修にするという枠組みはとてもドイツらしいと感じた。こういう発想はもともとしっかり持っているからだ。


技術には責任が伴う


テクノロジー(語源的には「技巧」「わざ」)は、何の役に立つのかわかりやすい。だが、よく切れる包丁を作る技術があっても、その包丁で美味しい料理を作るか、人を殺すか。こういう判断は倫理や哲学の領域だ。

包丁の例は単純だが、ドイツの原発を止めたのも、神学、哲学、社会学といった分野からの判断。議論の末、原子力という技術が「社会にとってよくない」とした。

これは遺伝子技術とよく似ている。倫理から技術を思惟し、議論をへて、規制などの政治的判断につなげるわけだ。技術には責任が伴う。


日本の技術系の大学は大丈夫?


昨今、先端的な技術を前面に出した大学が日本でも作られているときく。カリキュラムに人文系のものはどのぐらい組み込まれているのだろうか?
とかく日本は技術を「役に立つ・立たない」といった基準で捉える傾向がある。

今日、複数の技術が関連しあって、社会全般に大きく影響する時代だ。単純な「技術力」の追求はあまりにも無責任だ。
ニュルンベルク技術大学が立地するバイエルン州のベルント・シブラー科学大臣は、気候変動や人工知能といった将来的に重要な分野があるが、技術と同時に社会科学・政治といった課題とより密接であると、同大学のコンセプトの根拠を述べている。

ところで技術者の友人に、リベラルアーツを大学で学んだかどうか尋ねたことがある。何を当然のことを言うんだといわんばかりに、「もちろん」とかえってきた。(了)

  執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。当サイトの主宰者。著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。一時帰国で講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら