
ヨーロッパにおいて「戦争の記憶」を考えるとき、第二次世界大戦も大きいが、第一次世界大戦はより大きい。これは日本から見たときにわかりにくいのだが、その理由を考える。
2025年8月18日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
戦争の「高揚」とその後の「大惨事」という組み合わせ

例えば、フランスやドイツの小さな村にも戦争の碑がある。あるいは地域のスポーツクラブにもレリーフが掲げられている。これらの碑には村人やクラブのメンバーの行方不明者・死亡者の名前がある。
私が住むドイツ・エアランゲン市(人口12万人)では2年に一度、コミックの祭典が行われ、マンガ・ファンたちで盛り上がる。2014年には、中心市街地の広場で第一次世界大戦100周年のタイミングに合わせた巨大なコミックによるインスタレーションが展示された。
第一次世界大戦は、ヨーロッパ史上かつてない規模の「総力戦」だった。同一言語・文化を共有した市民による「近代国家」という概念の中で、市民は高揚した。その点で伝統的な王政や貴族的な価値観に基づく戦争とは異なった。
そんな高揚感の中で進んで兵役に志願した人も多かった。しかし、その結果は「家族・友人・隣人」の大きな犠牲だった。記念碑に具体的に犠牲者の名前が書かれていることからも、それを示している。
両大戦の質的違いと、日本の事情
第二次世界大戦もインパクトの大きな戦争であったが、思想史的な解釈をすれば、「科学知識」「合理的秩序志向」という近代の考え方を極端に振り切った大実験の機会になった。そこには倫理が後退し、殺戮のために科学・合理的秩序が優先的に適用された。
具体的にはドイツなどはユダヤ人虐殺、全体主義、兵器開発など、「倫理なき極端な近代」の百貨店のような状態に突き進んだことは、よく知られるところだ。この点から見ると、第二次世界大戦は「近代国家における市民の大惨事」という枠組みを超えてしまったと言えるだろう。一方、ルクセンブルクのようにドイツによって大きな被害を受けた国々では、第二次世界大戦に関する記念碑の数が第一次世界大戦のそれを上回っている場合もある。
日本に目を転じると、同じく第一世界大戦の参戦国だが、地理的に「周縁」であったこと。そして「近代国家」という概念はあくまでも輸入概念だったことから、欧州に比べるとインパクトの大きさも質的にも違ったのだと思う。加えていうならば、「近代国家」としての日本は、当時の地政学の現状に対する生存のためのツールとして、創造的に活用した「近代国家」だったと言える。つまり翻訳概念であり、欧州の歴史的文脈まで吸収するのは無理があり、その限りでは「擬態近代国家」だった。
以上のことから、まとめると次のような説明がある程度つく。
欧州の都市では第一次世界大戦の方が国家的な「集団的記憶」として、より生活圏の中で定着しているいる一方で、日本は周縁的・擬態近代国家という条件から第一次世界大戦は、欧州ほどインパクトがなかった。そのため日本からは欧州の第一次世界大戦の意味を理解しにくいのである。(了)


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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。