昨年12月に津田塾大学でオンライン講演をする機会があった。同大学講師マーヤ・ソリ ドーワルさんの企画・進行によるもので、追手門学院大学教授の有山篤利さんと対談形式だ。スポーツの制度や文化について、日独比較をするかたちで進んだ。その中で2点に絞って書いておきたい。

雑誌「近代JUDO」(ベースボールマガジン社 2021年2月号)執筆分をタイトル変更、加筆修整

2021年2月25日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


試合やりたい日本/トレーニング続けたいドイツ


この日のテーマは「比較文化論から見た現代社会における生涯スポーツの意義」。ご一緒したお二人は、武道やスポーツ科学、スポーツ社会学といった分野が専門。ちなみにソリ ドーワルさんはドイツ出身。日本での武道体験も豊富だ。

まずはコロナ禍での状況。両国でスポーツは「停滞」してしまった。それにしても日独の大きな違いが浮き彫りになった。

日本での議論は、とにかく試合を中止したくないという傾向が強い。
試合に出場し、そして勝利に対するこだわりが大きすぎる点を「勝利至上主義」と問題視されて久しい。換言すれば、「試合がない=スポーツがない」という考え方が大きいのだろう。

3人、ヘア、アウターウェアの画像のようです
オンライン講演の様子。上からマーヤ・ソリ ドーワルさん、有山篤利さん、筆者。(2020年12月9日)


ドイツは11月から再びロックダウンに入った。彼の国はNPOのような非営利組織で運営するスポーツクラブが主流だ。

その多くは感染リスクを下げるための公衆衛生コンセプトをつくり、そのための機材なども投入した。「それなのに、なぜ止めるのか」、とクラブから不満も上がっていた。柔道を見ても、道場内の導線を一方通行にし、トレーニングの人数の限定と予約制、かつ参加者および連絡先リストを記録するなどの対応をしていた。

ここから読み取れるのは、トレーニングの継続を望んでいる点だ。スポーツは日常生活における健康・余暇・社交など、「生活の質」を支えるもので、クラブはそのための社会的な公共財というわけだ。


真面目すぎる日本/上機嫌のドイツ


些細な話だが、日本での日常会話で睡眠不足をアピールすることがある。「真面目に頑張っています」「自己犠牲を払っています」ということを主張する意味合いが大きい。

この感覚はスポーツにも適用される。
例えば、これまた些細な話だが、練習の遅刻や休むことに対して驚くほど不寛容なことがある。もちろん、時間通りに来るべきなのだが、そういうわけには行かないこともある。遅刻は不真面目な行為なのだ。

記事:『外国に報じられ始めた、日本スポーツのまずい実態』

ドイツの新聞で日本の柔道は軍隊のようだと紹介がされることがあるが、「規律」「まじめ」であることが強く求められるのが日本だ。これは中高生の部活だけでなく、大人のスポーツでもしばしば見られる。

それに対して、ドイツのスポーツは全体的に上機嫌でリラックス。だが、これは集中していないとか、ふざけているという意味ではない。

この違いは「試合」か「生活の質」か、というスポーツの捉え方とも関連するが、もうひとついえば、ドイツのほうが「自己決定」でスポーツをしているという考え方が、より明確なのだろう。自己決定であるから、必要以上に「真面目であること」をアピールする意味はない。同時にお互いに強要する必要もない。

有山篤利さんとは当サイトで対談も行っている。「長電話対談 オリンピックの代わりに何を考えるべきか」


さて、この講演の対象は学生さんだった。自分たちのスポーツ環境やそれに伴う価値観を批判的に見る、あるいはその見方。そんなことが伝わっていれば嬉しい。(了)


著書紹介(詳しくはこちら

都市の魅力を高めるスポーツ
スポーツは地域のコミュニティを作る

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら