
東京の商業施設で、靴紐が絡み動けなくなった女性がその場で誰も手を貸さないまま助けを求め続けた。この一見些細な出来事は、日本とドイツの公共空間の違いを浮き彫りにする。「絆」は関係性内部の助け合いを強くするが、見知らぬ他者への関与はためらわれる。一方、「連帯」は関係の有無を問わず介入を正当化する原理として機能している。公共空間の質は、見知らぬ他者への関与を正当化するその原理が、関係の内部に留まっているか、あるいは都市のメタレベルにまで抽象化されているかによって決まる。
2026年7月5日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
東京での「エスカレーター事件」
こんなことあるんだな、と思った。東京で、商業施設のエスカレーターで上階へ向かっていると、上で中年女性が「すみません、すみません」と言いながら立ち止まっている。よく見ると、靴紐がエスカレーターに絡み、抜けなくなっていた。初めて見る光景だ。申し訳ないが、まるで罠にかかった動物のようでもあった。
とっさに「引っ張りますよ」と声をかけ、靴紐を外した。女性は何度も礼を言って去って行った。
印象的だったのは、その場で誰も手助けしなかったことだ。
他者を助ける原理という観点から、「絆(日本)」と「連帯(西欧)」で整理すると、こうなる。
絆は、地縁・血縁のような「関係の中」で機能する原理で、助け合いは「互いのやり取り」として組み込まれている。助けないことは関係の中で問題になりうる。だからこそ強いが、言い換えれば外側の他者への関与は前提とされていない。
一方、連帯は、見知らぬ他者への介入をあらかじめ正当化する原理で、「助ける理由」が先にある。こうした連帯が機能する社会では、公共空間の信頼性は制度だけでなく、「個人の自発的な介入」によって支えられる。
日本の人々が冷たいというわけではない。むしろ公共空間では「迷惑をかけない」が第一義となる。実際、動けなくなっている女性自身が、「(出口を塞いで迷惑をかけて)すみません」と謝り続けていたのはそのためだろう。
都市論から見た「他者への手助け」
以上のことをFacebookに投稿(2026年7月2日 限定公開)すると、意外にも関心が高く、「なぜ今?」と驚いた。というのも、「絆」と「連帯」の違いについて、私はこの20年ほど断続的に執筆し、講演などでも話してきたからだ。
とりわけ「福島第一原子力発電所事故」や「コロナ禍」の時に際立ったが、これらの例は「エスカレーター」の話に比べ大きすぎたのかもしれない。また、一方で「時代のタイミング」があって「腹落ち」する人が増えた可能性もある。その背景には、日本社会が量的な都市化の先にある「質的な変化」の必要性に直面しているという現状がある。
ドイツの都市を長年、(飽きずに)参与観察していると、三層構造でその特徴をある程度説明できる。すなわち、建物やインフラなどの空間を作る「物理的レベル」があり、人のネットワークや活動を指す「社会的レベル」がある。さらに、それらを方向づける価値・規範・公共的理解の層が「メタレベル」である。
「メタレベル」が曲者で、ここは自由に意見を述べることや、そこでの対話をもとに意味が生成され、そこから社会の方向性や民主主義の基礎的な議論につながる。連帯は「他者を助ける」という意味の変遷から言えば元々、キリスト教の「兄弟愛」から始まった。つまり、「宗教・血縁」といった繋がりから「抽象化」したものだ。だからメタレベルでの議論のキーワードになる。
そして、この変遷はドイツの19世紀の都市発展とも伴走している。この時期の都市発展では「見知らぬ他人」が集まる空間になり、「社会の構造」を意図的に構成し直す必要性があった。つまり「地縁・血縁」によるムラ的なものからの変化である。ただ人が多いという「都市化」ではなく、「都市社会化」※という質的変化が必要だったのだ。
※「都市化(量的)」「都市社会化(質的)」という整理は都市史を専門にしたユルゲン・ロイレッケのもの。社会学的に言えば「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変遷」と言えるだろう。
日本社会の変化の表れ?
この構造整理から言えば、「絆」は「地縁・血縁」に基づくもので、絶対善としての道徳、言い換えると「誰も文句の言えない、絶対的キーワード」だ。これは、ドイツの都市から規定した「メタレベル」とは異なり、せいぜい「社会的レベル」で止まっている。
しかし、見知らぬ他者が交錯する現代の日本の都市空間(=ゲゼルシャフト)において、身内だけの関係性に依拠する「社会的レベル」の原理だけでは、もはや公共空間の安全や信頼を支えきれなくなっている。
一方、日本における様々な分野での議論を見ていると、「メタレベル」の体系化が必要と思われることが多いし、そのことに気がつき始めている人も散見される。これが、今回のエスカレーターの例えで「腹落ち」する方が多かった理由ではないかな。少なくとも、メタレベルのシステム化を、都市哲学の視点から改めて捉え直す契機にはなりうる。(了)
著書紹介(詳しくはこちら)
都市社会の民主主義についてのヒント

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら


