「欧州文化首都2025」のケムニッツ

今年「欧州文化首都」のドイツ・ケムニッツの中心市街地の一角に巨大なマルクス像がある。同市は旧東ドイツであったが、今日なおなぜ、マルクス像を残しているのだろうか?

ドイツ東部の都市ケムニッツ(人口約25万人)の中心市街地の一角に巨大なマルクス像がある。ランドマークであり、ツーリストが必ず足を運ぶ。同市は旧東ドイツであったが、今日なおなぜ、マルクス像を残しているのだろうか?2025年、同市は「欧州文化首都」であることと重ねて、検討する。


ケムニッツのマルクス像


ケムニッツ市はかつて、「カール・マルクス・シュタット」という名前だった。その中心に立つ巨大なマルクス像は、高さ7メートル、重さ約40トンのブロンズ製の頭部像である。1971年にソ連の彫刻家レフ・ケルベルの設計によって制作され、冷戦期の東ドイツの社会主義精神を象徴するランドマークとして建てられた。95のパーツに分解され、現地で組み立てられたこの像は、世界で二番目に大きな肖像胸像として知られている。

1990年のドイツ再統一に伴い、ケムニッツはかつての名称に戻されたが、マルクス像は撤去されなかった。これは驚きに値する。というのも、旧東西ドイツが統一する時期を舞台にした映画『グッバイ、レーニン!』(2003)でレーニン像が劇中で撤去される場面が象徴するように、多くの東ドイツの社会主義の象徴が消えた。

ところが、ケムニッツの市民がこの巨大な像を「集団的記憶」として残すことを選んだ。都市の歴史の一部としてそれを認め、議論や批判を許容しつつも、アイデンティティの一側面として尊重しているというわけだ。

マルクス像の近くの標識の裏には、さまざまなステッカーが貼られている。サッカーファンのような出たちのマルクスを描いたステッカーがある。その左上に赤いビンをあしらったものは、反ファシズム的メッセージを示している。マルクスはナチス時代に弾圧され、反ファシズムの象徴となったが、東独時代には権威的シンボルとしても機能した。こうして、時代によって位置付けが変わることを、ストリートカルチャーから読み取ることができる。(2025年9月6日 筆者撮影)

マルクス像に見るドイツの集団的記憶の意味


ドイツは「記憶のチャンピオン」とも言われ、歴史的建造物や記念碑の保存に特に力を入れている。この発想は18世紀頃に同時代の啓蒙思想や愛国主義運動と共に発展し、近代国家の形成過程でナショナルアイデンティティや国民の統合を促す大切な基盤となった。

だが集団的記憶は過去の記憶をただ保存するだけではない。時代とともに「再解釈」の道具としても機能する。明るい歴史だけでなく、「黒歴史」とされる過去も、反省と批判の材料として社会の自己認識を深め、未来をより良く設計する糧となりうる。それはいわば都市や国家の「メタ認知」にあたる。すなわち自分たちがどんな歴史をもち、どのようにその歴史と向き合うかを、社会的に意識し議論することだ。

2025年、ケムニッツは「欧州文化首都」として、多様な文化交流を通じて「ケムニッツとは何か」「ケムニッツの未来像とは何か」という問いに直面している。ここにおいて、マルクス像は「都市のメタ認知」を促す重要な装置としての役割を果たしているといえる。過去の社会主義時代の象徴でありながら、多様な解釈や議論を生み出し、新たな文化的価値を創造する触媒となっている。(了)

マルクス像の近くには旧東ドイツ時代のビルも見える。このビルは旧インターホテル「コングレス」(現コングレス・ホテル・ケムニッツ)で、1974年に完成。高さ約97メートル・26階建て。東独時代のモダニズム建築様式に属し、ガラスとアルミパネルによるカーテンウォールと縦のラインを強調した外観が特徴。市中心部の再開発計画の一環として建設された。(2025年9月6日 筆者撮影)

【参考文献】


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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら