ドイツにおけるイースターから「家族の原理」を見ていると、日本の夫婦別姓議論の混迷の理由が少し見えてくる。

2021年4月5日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


ドイツの家族といえば、成人すると実家を出る人が多い。ところが、誕生日だクリスマスだと、家族が揃う機会が思いのほか多い。そして、イースターもそのひとつだ。

各家庭で料理や飾り、飲み物、全体的な段取りがまるでフォーマットのようにできている。これは「親密圏」のための固有文化で、子供から見ると、具体的な「実家」のイメージのひとつになる実家文化といったところか。

これは日本でもあるものだし、多くの夫婦は子供を授かったと同時に着々と子供にとっての「実家」を構築し始める。


個人主義を突き詰めた婚姻制度


さて、大変なのはイースターやクリスマスでの、実家訪問のアレンジだ。

ドイツは核家族がベースだが、夫妻がお互い再婚などの結果、いわゆる「パッチワークファミリー」と言われる状態になり、ひとつ屋根の下で暮らす「夫婦と子供」の苗字が全員異なることもある。また事実婚や交際相手も「家族」とみなしてしまう。さらに長寿化で四世代健在ということもある。こうなると、誰がいつ、どの「実家」に集うのかという調整が大仕事なのだ。

お馴染みの食器や定番料理、飾り付や調度品・・・。「愛」に基づいた家族の集まりを受け入れ、象徴づける「入れ物」が行事フォーマット。長年かけてパートナー(夫婦)が確立してきたもので、子供にとっての実家文化ともいえる。


婚姻制度じたい、戦後少しづづ柔軟性の高いもになったが、カオスにすら見えるその様子に、日本では違和感を覚える人もいるだろう。

私の理解でいえば、現在の婚姻制度とは、制度の背景にある「近代」をもう一度煎じなおしていったようなものだ。その核にあるのは個人主義であり、男女、もしくは同性パートナーの間の「愛」が、家族としての結合原理になっている。そして具体化する入れ物のひとつが実家文化だ。

日本に目を転じると、夫婦別姓の議論は、混迷気味に見える。その大きな理由のひとつは、「イエ」以外の強い家族原理が見出しにくいことにあるように思えてならないのだが、どうだろう? (了)

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
. ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。.