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こういったことを考えると、ダンス・スクールが盛況なのもよくわかる。また、靴に衣装、飲食、舞台設営、それにダンスのためのバンドなど『ダンス経済』もけっこうな規模になるのではないかと思える。 


 社交装置としてのダンス


実際、ドイツの日常のなかでの『ダンスのシーン』をあげれば枚挙にいとまがない。

結婚式のパーティでは盛り上がってくるとダンスが始まるし、ほかにも経済関係、政党、研究所、教会の教区、警察・肉屋さん・パン屋さんといった職業別。様々な括りの舞踏会があるのだ。

私が住むエアランゲン市では毎年スポーツ関係者などが集まる『スポーツマンのための舞踏会』などがあるが、取材で訪ねたところ、市長夫妻も上手にこなしていた。 

また、エアランゲン市は人口10万人の町だが、ダンス講師としてよく知られている人もいるし、議員のなかには職業がダンス講師という人もいる(※)。ダンス人材の層の厚さも感じる。

※ドイツの地方議員は原則無報酬。皆自分の仕事をもち、可処分時間を使って議員活動を行っている。議会も平日夕方から行われる。

また個人に帰すると、今日でもお年ごろになると嗜みとして必修という考え方があるのもよくわかる。結婚のパーティでは新郎新婦もお披露目のダンスで踊らねばならないので、ダンススクールのほうも結婚前集中コースを用意している。

こういったことを鑑みると、地域の中のフォーマル・インフォーマルな社交装置としての舞踏会が機能していることが容易に想像できる。


 繰り返して放送されるダンス映画


娘を通じてダンス事情の理解が進んだところで、ストンと腑に落ちたのが映画だ。

 たとえば『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)。毎年のようにテレビでよく放送される。この映画はビージーズの楽曲にあわせて踊る、白いスーツ姿のジョン・トラボルタのソロダンスが印象的だが、数年前にドイツで見たときにペアで踊るダンスシーンがあった。映画でのダンスは当時、ドイツのダンススクールでもよく真似されたらしい。 

家族と共に夏休みを過ごす10代の女の子が、父親に逆らってまでダンス・インストラクターと恋に落ちるというストーリーの『ダーティ・ダンシング』(1987年)もよく放送される。

名作とされている映画ではあったが、10年ほど前にて見た時は、ファンションや父親がユダヤ人医師という設定なども含め、中途半端に時代が古く、色あせた印象が強く残った。

しかし、久しぶりに見ると、主人公たちによるダンスシーンの素晴らしさはもちろんのこと、(「ドイツ人」の大好きな?)休暇という設定、そして彼の地での舞踏会の展開という点が目についた。これらの条件が揃っているためにドイツ社会に馴染みやすいのだろう。 

※       ※

 話はもどって、娘の初舞踏会。女の子はこういう時に一気に別嬪さんになるが、男の子はまだまだ。『スーツの着こなし? 今からだね』という感じがご愛嬌。

一方、大きな課題になっていた娘とのダンスは、簡単なステップはなんとかこなした。しかし、少しややこしくなると、とたんにガタガタ。スーツの着こなせていない若者のほうが上手い。(了)


著書紹介(詳しくはこちら
都市社会の中の社交ダンスや「スポーツマンのための舞踏会」について下記の拙著で触れています。


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら

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ベトナムのビーチで社交ダンス アジアの空間に溶け込む欧州(朝日新聞デジタル「アンド・トラベル」寄稿)