
ドイツで家族や友達が訪問してくると自然に「散歩に行こう」という話になることが多い。散歩は「AからBへの移動」といった「目的」のない行動だ。健康、リフレッシュ、コミュニケーションの三つの大きな効果がある日常的な行為だが、ある意味「ドイツ文化」の一つ。散歩文化を読み解いてみよう。
2025年11月21日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
ドイツ語の「散歩」という言葉はイタリア由来
すでに多くの日本人によって、ドイツの「散歩」について書かれている。日本人以外のドイツ定住外国人も「散歩文化」に注目しているケースがあり、ドイツ独自の文化であることが透けて見える。
日曜に家族や大切な人とぶらり歩きをして、最後にコーヒーとケーキで締めくくる。これはドイツ文化が誇る、いちばん心地よい週末の習慣のひとつだ。(私訳・米国出身ジャーナリストの散歩に関する記事より)
ヨーロッパの散歩文化を古代ギリシャに直接結びつけることは慎重さが求められるが、歩きながら思索するという行為には古代哲学の影響を感じ取ることができる。ストア派の哲学者たちは自然の中を歩きながら対話し、思考を整理することを重んじていた。この「歩きながら考える」スタイルは、後世のヨーロッパ文化における散歩の精神性、すなわち心を整え、風景と向き合い、内省の機会として歩行を用いる感覚と共鳴する側面がある。
ドイツ語の動詞「散歩する(シュパツィーレン/ spazieren)」、そして名詞「散歩(シュパツィアーガング/ Spaziergang)」 は、イタリア語、ひいてはラテン語に語源を持つとされる。
一方で、ルネサンス期のイタリアでは、貴族階級が庭園や街路をゆっくりと歩きながら景色を楽しむ「散策」の様式が洗練されていた。こうした歩行文化は、貴族階級の教養旅行「グランドツアー」を通じてヨーロッパ各地に伝わり、のちにさまざまな地域で「散歩」が社会的な習慣に根づく素地のひとつになったと考えられる。
19世紀の工業化・都市化が確立した「散歩文化」
19世紀になると、散歩の習慣は市民層にも広がり、「都市散歩(Stadtspaziergang)」「日曜散歩(Sonntagsspaziergang)」といった言葉が生まれた。もともとは貴族の優雅な家族の習慣だった日曜散歩は、都市化と核家族の成立に伴い、市民社会に定着していく。こうした散歩文化の広がりは、都市の遊歩道や公園の整備と密接に結びつき、19世紀の都市計画にも「散歩」という概念が取り入れられるようになった。
さらに、都市化が進む中で、自然への回帰や精神的なつながりを求める文化も現れた。特に「森の散歩(Waldspaziergang)」は、単なる貴族のレクリエーションにとどまらず、自然を精神的な拠り所とする文化の一側面となった。19世紀後半から20世紀初頭にかけては、ワンダーフォーゲル(Wandervogel) と呼ばれる若者の自然運動が台頭する。これは、産業化・都市化に対する反発として、森林や田園を歩き、自然の中で自由や共同体を追求するムーブメントだった。また、ドイツの森はロマン主義以降、文化的・象徴的な意味を帯びており、文学やアイデンティティの文脈でも強く語られてきた。
「犬の散歩(Gassigehen)」もこの時代に確立した。都市の膨張とともに人と動物の関係性を新たに再定義し、都市生活におけるペットの役割も変化させた。まず、19世紀後半の都市化の進展とともに、都市の公共空間や街路には犬の散歩が新たな市民の生活様式になる。都市の中で犬は単なるペットや狩猟の道具から、散歩を通じて市民同士が交流し、都市空間を共有する存在へと変化していった。特に、市街地の公園や散歩道の整備とともに、犬の散歩は都市の景観や生活の一部として社会的意味を持つようになった。

戦後から現代までの散歩文化の継承と変化
第二次世界大戦後も「散歩」は生活の一部として継続するが、他方1950年代以降はアメリカのレジャー文化の影響も受け、「健康」や「運動」の文脈で散歩が推奨されるようになった。散歩はより一般的な日課となり、家族や個人の健康維持にとって重要な活動として受け入れられている。健康寿命延伸のために、高齢者向け「散歩プロジェクト」※が行われる例もある。
※エッセン市の散歩プロジェクトについては拙著「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちの作り方」101ページ掲載
近年では、観光ガイドを伴う市内の「歴史散歩」や「街歩き」などが人気を博し、文化的・教育的な側面が強調されている。
筆者が住むエアランゲン市(人口12万人)を見ると、17世紀の都市の夜警の衣装をきたボランティアガイドが、都市の歴史散歩をするガイドツアー人気だ。もちろん「夜警」によるものなので夜に行われる。また政治活動でも散歩を利用するケースがある、「候補者と歩きながら語り合う」といった形で市民とのコミュニケーション手段として採用されている。
散歩は、健康や心のリフレッシュの手段としてドイツ全土で当然視されており、その「当然の価値」がクアオルト(自然療養地)※の制度にも自然に吸収されている。つまり、クアオルト散歩プログラムは特別な発明ではなく、歴史的・文化的な前提として組み込まれていると考えるのが妥当だろう。

※ドイツ政府が認定する自然療養地で、温泉や気候など自然の力を考慮して医療保険が適用される特別な保養地。
一方、この「当然の価値」を持つ散歩文化は、近年、改めてその意義を再認識されている。2020年からの新型コロナウイルスのパンデミックの時期、ロックダウンや移動制限が課され、スポーツジムや屋内施設が閉鎖された。しかし「散歩」は合法的に許された数少ない屋外活動となった。身体的・精神的な健康を保つための必須の手段として、市民に再発見されたかたちだ。筆者自身も拙宅近所の緑地帯や森へよく赴いた。普段からよくジョギングやサイクリング、散歩をしている人も多いが、それ以上に多かった。
私の「学習機会としての散歩」の実行
筆者は日本人グループを対象に「インターローカルスクール」という研修プログラムを主宰している。これは集中講義と「オープン・エア・クラス」を組み合わせたもので、ギリシャ哲学やドイツの散歩文化を強く意識している。

歩きながら講義内容を整理し、視界に入る光景と結びつけ、さらに議論を交わす――こうして単なる「移動」が、知識と体験が交錯する学びの場に変わる。散歩とは、心を開き、風景と対話し、日常を豊かにするための、最も身近で奥深い方法なのだ。
ともあれ、ドイツにおける散歩文化は健康、コミュニティ形成、文化体験、さらには市民参加の機会へと広がっているのがわかる。(了)
参考文献
- Schaefer, Luisa. (2020). ‘An ode to the Sunday walk’, Deutsche Welle (DW). https://www.dw.com/en/an-ode-to-the-sunday-walk-in-the-park-a-classic-german-ritual/a-52332823
- Robertson, Donald J. (2023). ‘How to Walk Like a Stoic.’ Stoicism Today. https://donaldrobertson.substack.com/p/how-to-walk-like-a-stoic-e1a41c8d5af0
- Kieffer, Fanny and Denis, Nicola. (2022). ‘Vom hortus conclusus zum inneren Labyrinth. Ein arkadischer Spaziergang durch die Gärten der Renaissance.’ Regards Croisés, 12, pp. 21–45. DOI: 10.57732/rc.2022.12.94969. https://journals.openedition.org/regardscroises/289
- Zierenberg, Matthias. (2016). ‘Stadtgeschichte’, Docupedia Zeitgeschichte, Version 1.0. https://docupedia.de/zg/zierenberg_stadtgeschichte_v1_de_2016
- Goethe-Institut. (2025). ‘Die Geschichte des Waldes: Mythos „Deutscher Wald“.’ https://www.goethe.de/prj/ger/de/wow/nachhaltig-erklaert/26511750.html
高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら)

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら



