
ハンガリーの首都ブダペストを訪ねる機会があった。市内「西駅(Nyugati Pályaudvar)」の近くで、移動式書籍ワゴンが、古本を満載して通行人の関心を集めていた。このワゴンは文化的・社会的に価値の高い取り組みだ。同時にハンガリーの民主主義の指標としても捉えることができそうだ。
2025年6月6日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
「書籍救済」という社会的イノベーション
移動ワゴンのそばにいた若い男性に「あなたは本をここで売ってるの?」。「ああそうだ」と言ってどんな本を売っているのか見せてくれた。
これは「クィニュヴメントーク(Könyvmentők /書籍救済者たち)」という団体の取り組みで、2013年からブダペストで活動している。彼らの目標は、捨てられそうになっている古本を救い出し、広く一般に提供することである。
同団体のコンセプトはシンプルかつ効果的だ。寄付されたり個人蔵書から出された本を、ボランティアが収集・分類し、特別に設計された移動式書籍ワゴンに載せて街中で販売する。価格は意図的に低く設定されており、本1冊あたり約450フォリント(約1.10ユーロ)である。これにより、すべての社会階層にとって読書が手の届くものとなり、教育と文化へのアクセスの民主化という課題を推進する形だ。
この取り組みのもう一つの中心的要素は、社会的包摂である。団体ではボランティアだけでなく、長期失業者や障害を持つ人々など、一般の労働市場への参加が困難な人々も雇用している。こうしてこのプロジェクトは、出会いと参加の場となる。社会的なコミュニティが形成されているのは想像に難くない。

民主主義と専制主義のはざま、書籍ワゴンは西側価値の指標となるか
この移動古書店は、市街という公共空間に出されていること、そしてハンガリーの政治的・社会的な発展状況を考えると、よりその重要性が浮かび上がる。
2010年以降、ヴィクトル・オルバーンとそのフィデス党が政権を取って以降、この国は少しづつ民主主義の基本原則から離れている。外部の複数の機関は報道の自由の制限、三権分立の弱体化、教育と文化への国家統制の強化を報告している。
このような状況の中で、市街地の公共空間で、移動古書店のような市民主導のイニシアティブは特に重要な意味を持つ。それらは文化的交流の場であるだけでなく、ハンガリー社会における開放性や、西側的価値の回復力の指標ともなりうる。自由な読書アクセス、多様な書籍の品ぞろえ、国家の干渉を受けない運営が行われている限りは、自由・平等・連帯という西側の民主主義に基づく価値観が実現されている形だ。
報道の自由の後退はすでに始まっている。また2010年代中盤以降には、文化政策の中央集権化が進み、国家文化基金(NCF)などを通じて、政府の保守・ナショナリズム的価値観に合致するプロジェクトへの支援が優先されており、リベラル寄り雑誌への補助が削減されるケースも見られる。このような動きが、移動式古書店プロジェクトの成立背景にもなっているとも考えられる。
つまり、この古書店が扱う書籍について国家が検閲や制限を受けるようになると、それは「意見の自由」が制限されるということである。それは民主主義が瀕死状態になっていることを意味する。この観点から言えば、移動中古書籍のワゴンはこの国の「民主主義」の指標となるだろう。(了)
参考:
- Könyvmentők Kulturális Egyesület. Könyvmentők公式ウェブサイトhttps://konyvmentok.hu
- Interreg Europe “Book Rescuers in Hungary”
https://www.interregeurope.eu/good-practices/book-rescuers-in-hungary - Freedom House. “Nations in Transit 2024 – Hungary.” Freedom House, 2024年.
https://freedomhouse.org/country/hungary/nations-transit/2024 - Amnesty International. 「Amnesty International Report 2024/25: Hungary」. Amnesty International, 2024年.
https://www.amnesty.org/en/location/europe-and-central-asia/hungary/report-hungary/ - OpenDemocracy. “The creeping cull of cultural diversity in Orbán’s Hungary, 2016年.
https://www.opendemocracy.net/en/can-europe-make-it/creeping-cull-of-cultural-diversity-in-orban-hungary/
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ドイツの地方都市はどのように「都市の質」を高めているのか?

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。