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有山:たとえば卓球部。廃部にしようとすると、「卓球が地域からなくなる」というふうに協会や連盟からクレームがくる。

高松:いったい、何なんですか、それは? 不思議なクレームです。

有山:そうでしょ。お門違いもはなはだしい。もちろん、競技スポーツにも教育という側面はある。しかし、それは副次的な効果であって目的ではない。

高松:そうですね。

有山:部活動に競技という側面は手段として必要ですが、目的はあくまで教育。 スポーツと体育は目指すゴールが違う。この整理を、物理的な環境変化によって迫られているのが部活動の問題です。


体育の授業は何をすべきか


高松:どんな体育の授業をすれば良いと思いますか? 

有山:先に述べたのは広義の体育。この質問は教科体育という狭い意味の体育になるでしょうか。ここでも、競技としてのスポーツと教育としての体育の違いを明確にしていかなければなりません。

高松:はい。

有山:個人的にはね、これからは、「阪神ファン」のような人物をつくる体育が必要かと思います。阪神ファンというのは、たいして投げたり打ったりできなくても、理屈だけはすごい。ファンのおっちゃんたちは野球をよく知っている。だから、野球という文化を思い切り楽しめる。

高松:これは楽しくなりそうです。

有山:技術や戦術などの動きの意味、文化としての歴史、バイオメカニクスや生理学等人体や運動のメカニズムなど、これまで体育では軽視していたものが重要になってくる。

高松:なるほど。

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有山:例えば柔道の勝負はたいしてできないけれど、柔道についてはよくわかっている。体育の授業で競技柔道を始める人は滅多にいないだろうが、少なくとも柔道に接する姿勢や見方は豊かになっている。そんな子供を体育で育てるべきです。

高松:それは、いいですね。

有山:これまで体育の授業は「スポーツのやり方=技術」偏重。つまり、競技のやり方しか教えてこなかった。もし技術を伸ばして勝ちたければ、学校外でやればいいわけです。その仕組みづくりが競技団体に問われている。ましてや選手の育成種目の普及をを意識した部活動や体育授業を、学校に期待するなんていうのは論外。


競技団体というムラ社会


高松:これまでの話からいえば、学校が選手育成の場になるような構造が日本にはあるということですね。

有山:組織図を見ると一目瞭然です。各種目、県の協会があって、その下に全国高等学校体育連盟(高体連)や日本中学校体育連盟(中体連)がある。

高松:たしかによくわかる。ドイツと比較すると、ドイツは「社会」というベースがかちっとあって、その上にスポーツがある構造と理解できます。スポーツクラブの「自己像」を書いたものを見ると、「自分たちは社会的な組織なんだ」という意味の文言が見られます。

有山:違いますね。

高松:またスポーツの財政支援に関して言われることですが「補完性の原理※」がある。地域単位を基本として考えている。

※補完性の原理:決定や自治などをできるかぎり小さい単位でおこない、できないことのみをより大きな単位の団体で補完していくという概念。(ウィキペディアより)
スポーツのみならず、一般にドイツはもとより、EU全体のカギになる原理。

有山:なるほど。

日本スポーツの構造はいびつ。それはスポーツの始まりが学校(大学)だったことに理由がある。(有山さん)



高松:それに対して日本の場合、社会というベースが脆弱で、ただ業界団体が乱立しているかたちです。だから、たとえば業界団体の中の常識のほうが社会全般の常識よりも時に優先されすぎる。いわゆる「ムラ社会」になりやすい。そういう説明がつくと思います。

有山:はい。だから不祥事をおこしたときはもちろん、一度「ムラ」から外れると元の「ムラ」に戻ってこれないことも多い。(笑)

高松:そういうことでしょうね。(笑)
ひるがえって、日本スポーツのいびつな構造はなぜできたのでしょう? 

有山:日本のスポーツの始まりが、学校(大学)だったという歴史に起因します。日本のスポーツは学校で育ちました。

高松:はい。

有山:加えて、もともとその修養主義的な性格から、教育との親和性の高い武道の存在も関係する。柔道の創始者、嘉納治五郎師範も柔道の普及に学校を利用しました。それを悪いとは言いません。歴史の必然でしょう。

高松:歴史のなかにはそういうことがしばしばあります。

有山:しかし今日、もう学校には肥大化したスポーツを抱え込める容量はありません。「体育」「スポーツ」は、もう物理的に独立せざるを得ない状況にあることを認識すべきだと思います。

高松:なるほど状況が大きく変化しているわけですね。次回最終回では、スポーツを通して見えてくる日本の姿を検討しましょう。コロナ禍で試合がなくなったり、オリンピックが延期になった今だからこそ、考えたい問いだと思います。(次回に続く)

次回、最終回「戦略を持たない」ことが日本の戦略だが・・・
日本の思考特性を考えながら、どうすべきか展望します。

4回シリーズ 長電話対談 有山篤利×高松平藏
■オリンピックの代わりに何を考えるべきか?
第1回 五輪の価値とは何か?
第2回 コロナ危機、試合中止は問題か?
→第3回 「托卵モデル」という日本の構造
第4回 「相手任せ」になる日本の理由(最終回)

ドイツ・エアランゲンからネットを使って対談。あたかも「長電話」の如く、長尺対談記事の一覧はこちら