「托卵モデル」という日本の構造

公開日 2020年9月16日

長電話対談
有山篤利(追手門学院大学教授)
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高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)

オリンピック、勝利至上主義、コロナ危機での試合中止。日本にはスポーツにまつわる解決すべき問題や、取り組むべき課題がたくさんある。武道研究をベースにした体育科教育とスポーツ社会学が専門の有山篤利さんと対談を行った。「体育」「スポーツ」を軸に考えてみた。第3回目は体育とスポーツがなぜ一緒くたになってしまうのかを解きほぐす。(対談日2020年5月4日)

4回シリーズ 長電話対談 有山篤利×高松平藏
■オリンピックの代わりに何を考えるべきか?
第1回 五輪の価値とは何か?
第2回 コロナ危機、試合中止は問題か?
→第3回 「托卵モデル」という日本の構造
(以下 近日公開)
第4回 「戦略を持たない」ことが戦略の日本だが…(最終回)


「学校にお任せします」が日本のスポーツ


高松:スポーツと体育が日本では一緒くたになっているとよくおっしゃっている。 

有山:たとえば部活は学校でする限りは「教育(広義の体育)」。でも実質は、競技スポーツをやっています。

高松:部活は「勝利至上主義」だという批判がおこって久しいです。

有山:この背景には、競技スポーツの構造的な問題があります。その端的な例が競技団体の普及や強化策ですね。

高松:どういう構造になっているのでしょう。

有山:種目の普及は、部活動の活性化が頼り。中高大と学校が選手を開拓し、学校教育のなかで強くしてもらい、その上澄みをとる。かっこうの「托卵」のようなもの。野球なんかはドラフトで「いいとこどり」をする構造。

高松:まさしく、かっこう式「托卵モデル」。(笑)

有山篤利(ありやまあつとし)
追手門学院大学社会学部教授。京都府下の高校で保健体育教諭として13年勤務の後、大学の教壇へ。教諭時代は柔道部の監督としても活躍した。研究者としては、柔道を伝統的な運動文化として捉え、武道授業のあり方、生涯スポーツとしての柔道というテーマに取り組んでいる。1960年生まれ。



有山:部活動は教育だなんていうわりにね、部活がなくなったら、「種目を普及できない」「強くならない」という具合に、普及や強化に影響するという話ばかり出てくる。

高松:学校にたよりすぎですね。

有山:はい。競技に関する普及、育成、強化は本来競技団体の役割。明治に「スポーツ」が日本にはいってきたのに、スポーツは未だに自立できていない。競技団体が担ってきたのは、大会運営とできあがった選手の派遣のみ。あとは、学校に丸投げ。

高松:構造としてはいびつ。

有山:しかし、人口動態の変化で、学校は物理的にダウンサイジングしました。すなわち、スポーツの普及や強化・育成を担う資源が枯渇してきた。

高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。「地方都市の発展」がテーマ。著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
最新刊は「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (2020年3月)。スポーツに対する関心はもともと薄かったが、都市を発展させているひとつに「スポーツクラブ」があることに着目。スポーツの社会的価値を展開している様子を見て、著書につながった。1969年生まれ。プロフィール詳細はこちら

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高松:大きな政府・小さな政府という言い方があるが、「大きな学校から小さな学校へ」に変化している。

有山:そうです。「大きな学校」の時代でも、先生のなかにはクラブが嫌いな人や反対する人もいた。しかし教諭の数が多いから、部活をやりたい人たちだけで成り立っていた。子供も多かったから「君は野球」「あなたはサッカー」という具合に割り振れた。

高松:ところが「小さな学校」になってくると、そういうわけにはいかない。

有山:そういうことですね。先生も生徒も、クラブなんてやりたくない人までやらなければならなくなった。子供も少ない。今、私が関わっている地域の学校の中には、先生は10人しかいないのに部活動の種目が8つもある。

高松:それはすごい状況。

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