〈暴力を問う民主主義〉──ドイツから見た国家・倫理・個人(4回シリーズ 第1回目)

ベネズエラのことは正直知らない。アメリカについても詳しくはない。しかし欧州から見ると「暴力と民主主義」という問いを目撃しているように思われた。

正直に言えば、私はベネズエラについては名前ぐらいしか知らなかった。アメリカの知見もそれほど多く持ち合わせていない。また石油、制裁、国際法、ラテンアメリカ政治――それらについては、すでに多くの解説が出ている。それでも今回のアメリカの対ベネズエラ行動を見て、強い既視感を覚えた。ドイツ・ヨーロッパの歴史意識からアメリカを眺めていると、どうしても同じ構図が浮かび上がってくるからだ。暴力と民主主義の関係を問い直そうとする、未来社会の設計者たちへ向けた試論の第1回目を送る。


歴史的に練られたプロセスがある欧州


ヨーロッパの視点から見ると、アメリカは「いまだ思春期にある近代国家」に見える。もちろん欧州も問題は多いが、それにしても欧州の民主主義は歴史的に練られたプロセスがある。

例えば30年戦争※など、とことんまで争った。19世紀の都市化と工業化で、ひどい社会問題を発生させた。こういった失敗や挫折の経験を通じて形成される「抑制の知」がある。この観点から言えばEUがなぜ調整型なのかがわかる。「共倒れしないように」「共に繁栄できるように」という了解があるから、EUは規制をたくさん作る。これは国際的な「社会契約論」のようなものと理解できる。

30年戦争(1618–1648)宗教対立から始まり欧州諸国が参戦した大戦。ドイツは荒廃し、戦後のヴェストファーレン条約で国家主権原理が確立、近代国際秩序の出発点となった。

それに対して、雑駁な言い方をすれば、アメリカは欧州から近代を極端に純化した国家形態で、制度的には成熟している。しかし歴史的な抑制の文化が内在化していない。これはまるで、思春期のような近代国家と表現できそうだ。


爆発する「思春期近代国家・アメリカ」


思春期の特徴は、自我が強く、道徳的確信に酔いやすいことだ。「自分は正しい」「善を行っている」という感覚が、瞬発的に行動に移す。国家に置き換えれば、「特別な使命を帯びた国家」という理解だ。この「思い込み」の強さは18歳。かつてマッカーサーは「日本の民主主義は12歳」と評したと言われているが、アメリカも実は欧州から見るとまだ「思春期民主主義」の近代国家だ。

実際、アメリカの対外行動の年表を見ると、同じパターンが繰り返されてきた。1954年グアテマラCIAクーデター、アジェンデ政権転覆への関与、1989年パナマ・ノリエガ逮捕、2003年イラク・フセイン打倒。これが民主主義を名目にした止められない暴力だ。理念的正当性を掲げ、迅速に行動し、後から長期的な不安定化や副作用に直面するという、構造的傾向だ。「思春期近代国家」に特有の「爆発」行動様式と考えた方が理解しやすい。今回のベネズエラへの制裁・暫定大統領承認・軍事示唆を含む一連の行動も、「思春期の暴発」の延長線上にある。

問うべきは、アメリカが何をしたか、というよりも、「なぜ止まれなかったか」ではないか。


民主主義に完成形はない


この点で重要なのが、民主主義は決して「正しい決定を導く制度」ではないということだ。ヨーロッパ的な民主主義を見ると、それは自己抑制と自己修正の仕組みとも取れる。勢いづく正義や多数派の感情を一旦鎮めて疑う。前提や価値をいったん外側から捉え直し、考え続ける永久思考の制度と言える。これが民主主義の値打ちなのだが、「決まらない」「決められない」民主主義と言われるイラつきの正体でもある。これは筆者が住むエアランゲン市(人口12万人)の都市からも見出せる。

この観点から見ると、今回のアメリカの行動は、民主的正当化がすんなり進み、それを止める回路が機能しなかったとみなせるのではないか。少なくとも独裁化とか反民主主義ではない。また民主主義に完成形がそもそもない。ドイツなどは当時最先端の民主主義憲法と言われたワイマール憲法も、ヒトラーによって簡単に骨抜きにされた。だから戦後のドイツは民主主義の脆弱性をかなり修正した。バージョンアップだ。

以上のような観点から言えば、「民主主義が民主主義自身を止められないという失敗」を考えるべきなのだ。

この失敗は、民主主義が世界的に弱体化していると言われる現在、他人事ではない。日本もまた、民主主義を理念としては共有しながら、その実装はできていない。民主主義を生きたものにする、意見形成・議論・意味創造を重ねていく「民主主義のメタ・インフラ」※が脆弱な社会である。

※本稿でいう「メタ・インフラ」とは、選挙や議会など制度を支える言論文化、社会的信頼、教育、規範的価値の体系の総体を指す(筆者定義)。詳しくは こちら

思春期近代国家アメリカの暴発は、対岸の火事ではない。民主主義とは「行動できること」ではなく、「行動を止められること」でもある。民主主義の自主制御の難しさを世界は目撃している。(つづく)


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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら