
クリスマスに、自分へプレゼントを贈る──ある報道で、この行為がすでに例外ではなくなっている現状を伝えた。調査によれば、ドイツ国民の4人に1人が、クリスマスの贈り物として「自分用」のプレゼントを用意しているという。これは、かつては違和感をもって見られた行為だが、なぜここまで一般化したのか。この記事は単なる消費トレンド紹介ではなく、ドイツ社会の深層に起きている変化を映し出している。
2025年12月24日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
「自分へのプレゼント」はどこまで広がっているのか
記事の基礎となっているのは、ミュンヘンの経済学者オリヴァー・ガンサーによる全国調査だ。15年以上にわたり、毎年6万人以上を対象に、誰が誰にクリスマスプレゼントを贈るのかを調べてきた。その調査項目に「自分へのプレゼント」が加わったのは2020年のことだという。調査対象者から「なぜそれを聞かないのか」と逆に問われたことがきっかけだった。
結果は研究者自身も驚くものだった。現在では、回答者の約4分1が、クリスマスに自分自身を贈り物でねぎらっている。内容は本や高級食材、旅行、ウェルネス体験などが多く、平均額は50〜170ユーロ程度。一方で、自己贈答者の6人に1人は、平均223ユーロをスマートフォンに使っているという。
心理学者のコメントも紹介されている。自分へのプレゼントは「的確で失敗しない」が、他者への贈り物がもたらす期待感や驚き、相互評価の喜びはそこにはない。期待を手放すことで、喜びと同時に失望も手放している──記事はこの アンビバレントな側面を丁寧に拾っている。
贈与経済の変容と自己完結型消費
この現象を、単なる「自己中心化」や「若者の享楽主義」として片づけるのは短絡的だ。人類学的に見れば、贈り物はもともと社会関係をつくるための制度だった。見返りを前提としないように見えながら、実際には関係を循環させる装置である。いわゆる「贈与経済」だ。
ドイツでは、その名残が長くクリスマスプレゼントやクリスマスカードの形で残ってきた。カード一枚でも、「あなたとの関係を続けたい」という意思表示になる。しかし、記事が示す「私へのプレゼント」は、その循環から外れている。他者との関係を再確認ではなく、自分の内側で「自分の気持ち」を完結させる行為だからだ。
背景には、21世紀に入ってからの消費市場経済の拡大がある。21世紀初頭のドイツでは、生活の中で「修理するより買う方が安い」といった合理的選択が増え、消費市場経済が浸透しつつあった。この傾向は都市社会やコミュニティ参加の仕方とも密接に関連する。クリスマス後のニュースに見られる「もらったプレゼントが気に入らない」などの返品・交換も、市場経済化の一側面として理解できる。
都市社会の構造と人間関係の再編
この変化は、ドイツの都市構造とも深く関係している。ドイツの都市は、日本のムラ社会とは異なり、「見知らぬ他人の集積」として設計されている。自治会などの「地縁組織」は基本的に存在せず、近隣との濃密な相互扶助も前提ではない。その代わりに、スポーツクラブ※や市民団体、趣味の会など、目的別のコミュニティが無数に存在してきた。筆者が住む12万人の町でも、NPOのような非営利組織「フェライン」が800程度ある。つまり、自分の目的に合ったコミュニティを見つけやすく、選択肢が多いことを示している。
※ドイツのスポーツクラブ(Sportverein)は、地域住民が参加する「リビングスタンダード」として長い歴史を持つコミュニティ。単にスポーツを行う場であるだけでなく、会員間の交流やボランティアなどを通じた「スポーツを核にしたコミュニティ」であり、目的別の関係性形成の中心的役割を果たしてきた。
この設計を支えてきたのは、「見知らぬ他人同士が数多く知り合い、必要に応じて関係を結ぶ」という柔軟な人間関係の作り方である。しかし、この25年で、その関係性の質は少しずつ変化している。スポーツクラブへの参加もかつては、長期的帰属が主流だったが、目的達成型・期間限定型にゆっくり変遷している。
21世紀初頭に語られた「ゴルフ・ジェネレーション」※は、その変化を先取りしていた世代像だった。政治的理想や社会変革よりも、安定した生活と消費を重視する姿勢は、消費市場経済と都市型ライフスタイルに適応した結果でもある。この流れの延長線上に、「自分へのクリスマスプレゼント」があると考えると、腑に落ちる。
※ゴルフ・ジェネレーション:1990年代に注目されたドイツの世代概念で、1970年代前半〜1980年代前半生まれを指す。名称はフロリアン・イルリースの著書『Generation Golf』(2000年)に由来する。「ゴルフ」とはフォルクスワーゲン・ゴルフを象徴として選んだもので、ビートルに象徴される伝統的中産階級よりも、安定した現代的ライフスタイルや消費志向を重視する世代像を表す。政治的理想よりも個人の快適さや選択の自由を優先する傾向がある。
日本社会との比較から見える贈与論理の差異
この点で、日本社会は対照的だ。日本では現在でも、お中元やお歳暮、手土産といった贈与の慣行が根強く残っている。そこでは、相手との関係を維持すること自体が目的化しており、多少の負担や形式性を引き受けることが、社会的成熟と見なされる場合も多い。
言い換えれば、日本の方が今なお贈与経済の論理が強く作用している社会だと言える。贈り物は感情の調整装置であると同時に、関係から降りないという意思表示でもある。それでも、日本でも今日「自分へのご褒美」という言葉が広がっており、伝統的な地縁組織が成り立たなくなっていることなどと併せて考えると、日本の変化を読み取れるだろう。ここはまたの機会に検討してみたい。
ひるがえって、ドイツで進む「私へのプレゼント」の一般化は、贈与の消失というよりも、贈与の方向が、他者から自己へと部分的に変化した結果である。その変化についてはさまざまな視点から検討できるであろう。それにしても、都市社会と消費市場経済の中で再編されつつある人間関係の姿が浮かび上がる。(了)
参考文献
von Leszczynski, U. (2025, 10. Dezember). Ich schenk‘ mir was! Auch ein Geschenk für sich selbst kommt oft auf den Gabentisch. Erlanger Nachrichten.
著書紹介(詳しくはこちら)
地方の都市内にある「資源」を最大活用化

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら


