
2025年12月13日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
映画『美女と野獣』といえば多くの人がディズニー版を思い浮かべるだろう。しかし、私にとっての「オリジナル」はジャン・コクトーの作品だ。コクトーはフランスの詩人だが、それ以上に映画・舞台・絵画と境界を横断する芸術家である。1990年前後、日本で静かなコクトー・ブームがあった。今思うと、バブル期の「洗練された欧州前衛」として演出されたマーケティングの波だった。そして当時20歳前後だった私はまんまと乗っていた。映画館へ足を運び、書籍を手に取り、「洗練された文化」に触れた気分になった。それにしても、地方の若者にとって十分に刺激的で、それなりにいろんなものを吸収した。
90年代最後半、初めて訪れたドイツ・エアランゲン(人口12万人※)。市営劇場のホワイエにコクトーが鳥を描いた鏡があることを知った。その鏡は、1962年に彼の戯曲『双頭の鷲』上演の際に残されたものだ。書籍で見たあの独特の線画のスタイルと同じで、一目でコクトーと分かる。ここで初めて、「マーケティングの波」ではなく、実際の欧州の空間に触れていると実感した。
※訪問した当時は人口10万人だった。
つい先日、久しぶりにその劇場を訪れる機会があった。式典後のホワイエではパーティが開かれていたが、上階にあがると、あの鏡が静かに壁にかかっていた。今ふうの「鏡を使ったセルフィ」を撮ってみた(=冒頭写真)が、コクトーと合作したような写真だなと思った。
欧州の多くの人々にとって、これは「妙な線画の古ぼけた鏡」かもしれない。しかし、306年の歴史を誇る劇場とコクトーの線画は、「歴史」と「欧州」の本物の交差点である。鏡を見た時、私はバブル期のマーケティングという「うっかり乗せられたクルマ」から降り、ようやく自分の足で立てた気がした。あくまでも個人の体験でありながら、地方劇場の文化的価値を感じさせる瞬間でもあった。(了)
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文化は「社会という生地」を膨らます酵母だ。ケーキの上の生クリームではない

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら


