
2022年5月23日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
日本社会を外部から観察する際、SNSを中心に拡散する「バズワード」の影響力に驚かされることが少なくない。概念なき直感的言葉が瞬く間に広がり、政治や社会の動きを表面的に牽引する現象が目立つ。背景となる理論や倫理的基盤が希薄なまま、言葉だけが一人歩きする。たとえば「シビックプライド」や「グローバル人材」など枚挙にいとまがない。
ドイツでもキャッチフレーズの連呼がないわけではない。哲学や倫理に根差した理論的裏付けがあることが多い。しかも時代に応じて更新され、定義について入り組んだ議論が増えていくのがドイツの性質だ。それにしても、倫理や哲学から組み立てられているのがわかる。
対照的に日本では、言葉の持つ直感的な魅力が先行し、その本質的な意味や他分野との関連性が深く考察されないまま社会が動く。この「バズワード・ポリティクス」とも呼ぶべき現象は、無意識の「空気」に支配される日本の特性を象徴している。
「バズワード・ポリティクス」 の欠点は、倫理的考察を伴わない言葉が社会課題への取り組みを妨げる点にある。例えば地方活性化の文脈で「シビックプライド」が叫ばれても、英国のように歴史的・社会的コンテクストを踏まえた議論が深まらない。結果として、教育制度や経済政策との有機的連携が見えず、施策が断片的になる。この傾向は「国際化」や「多様性」といった言葉が用いられる際にも繰り返されてきた。
西欧との比較において、日本社会のこの特性は「日本論」の文脈ですでにさんざん指摘されている。だが、言葉の軽やかな流行と本質的な議論の不在という構造は変わらない。我々が「進んだ概念」としてバズワードを使用する際には、その言葉が内包する歴史的経緯や他領域との関係性を厳密に検証する姿勢が不可欠。少なくとも、そういう検証をするクセをつけたほうが良いと思う。(了)
高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら)
ドイツの自治体はどんな概念で組み立てられているのだろうか?

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。