
当サイト「インターローカルジャーナル」に対して、京都CSR研究会代表幹事で元京都文教大学教授の島本晴一郎氏からメールによる評価をいただいた。同時にニューメディア時代のメディア像や、日本社会の公共圏のあり方を問う「批評」にもなっており興味深い。同氏に許可を得て紹介する。
2026年6月16日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
オールドメディア/ニューメディアを超えて
島本氏はまず、インターローカルジャーナルをニューメディアの一形態と位置づけながらも、現代のメディア環境は「オールドメディアとニューメディアという単純な2分法では語れない」と指摘する。
SNSに象徴されるニューメディアは、事件の「原風景(映像)」に直接触れる機会を飛躍的に増やした。一方で、発信者の意図や主張が「タイトルメッセージ」として強く付与される構造もあるため、受け手の洞察力が損なわれる危うさも併せ持つ。こうした文脈の中で、同氏は当サイトを「ニューメディアの騎士」と呼び、「地に足の着いた観察と洞察が、その軽さを補う」と述べる。
情報過多の時代に公共圏を考える
制度やシステムが高度に整備された今日、人々は膨大な情報を「後追い」で処理することに追われ、それを自らの問題として引き受け、意味を問い直す余裕を失いつつある。島本氏はその状況を踏まえ、「メディアを受動的に捉えるのではなく、能動的に捉え直すこと」が重要であり、それが文化の形成、ひいては公共圏の再生につながると指摘する。
さらに同氏は、いわゆる民主主義の機能不全が指摘される米国についても言及しつつ、「公共圏にはいずれ揺り戻しがある」との見方を示す。
一方、日本においては東京圏への集中が続き、政治・経済・社会の意思決定が偏在している。その結果として、多くの人々が既存のシステムに依存するだけの存在となり、地に足の着いた公共圏が形成されにくい状況にあるのではないか、そうした懸念も示されている。
地方から『遠い政治』を手元に引き寄せる
では、その閉塞をいかに乗り越えるのか。
島本氏が示す方向性は、「様々な核を展開し、多数個性による緩やかな連合協調を築く」というものである。中央集権的な一極構造ではなく、各地に根ざした多様な視点の連なりによって社会を捉え直す発想である。
その文脈において、当サイトも位置づけられている。
ドイツの地方都市に拠点を置き、地域社会の具体的な実践や生活の現場を丁寧に観察すること。そのうえで、政治や経済、社会や文化といった一見距離のあるテーマを、読者の至近距離へと引き寄せる。すなわち、「遠い現実」を再び自らの問題として捉え直すための視点を提示することに、本誌の意義があるという評価である。
こうした指摘は、評者の見解にとどまらず、筆者自身(サイト主宰者)の問題意識とも重なる。
民主主義とは単なる統治の仕組みではなく、人々が共に生きるための基盤となる「共生のシステム」である。その中核にあるのは、市民が自由に参加し、議論を交わすことのできる公共圏である。
そして、その公共圏を支えるのは「問い」である。何を問うのか、どのように問うのかによって、議論の質は大きく変わる。
この前提に立つと、ジャーナリズムの役割が明確になる。「権力の監視」というだけではなく、物事の背景や構造を提示し、読者に新たな問いを促すことである。 以上を踏まえて、インターローカルジャーナルは「未来社会の設計者たち」を読者像としている。(了)
高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら)
文化は都市の質を高める

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら


