スタートレックからの洞察 vol.4

カーク船長がヤマトの制服を着る写真を見て笑った。だが滑稽さの裏には、倫理SFと道徳SFの思考構造の違いが映し出されていることに気づく。
2026年2月2日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
Facebookで見つけた「面白い写真」の違和感
スタートレックと宇宙戦艦ヤマトの両方を知る者にとって、思わず笑ってしまう写真を見た。カーク船長とマッコイ(医師)が宇宙戦艦ヤマトの制服を着て、スポックはデスラー総統の格好。マッコイに至っては、ヤマトの医師・佐渡酒蔵のように日本酒と猫を抱えている。見ているだけで滑稽だが、一方で少し気持ち悪くもある。なぜか。それは、「倫理SF」の登場人物に「道徳SF」の服を着せたことで、物語のベースにある思考の構造がずれたからである。逆に、ヤマトのキャラクターにスタートレックの制服を着せても同じ違和感が生まれるだろう。衣装は単なる外見ではなく、物語の思考的なコードを象徴しているのだ。
この写真は、道徳SFと倫理SFの違いを直感的に理解させる触媒だ。
道徳SFの服は、集団の規範や義務、勇気を身体化している。倫理SFの登場人物は、個人の判断を倫理の枠組みで検証するプロセスを体現する。この二つがぶつかると、観る者は笑いと違和感を通じて、物語の倫理構造を感じ取れる。これはどういうことか?続けて書き進める。
Facebookに投稿された写真。
道徳SFと倫理SFの思考
宇宙戦艦ヤマトは、国家的・共同体的道徳に基づく行動規範を描く物語だ。危機の場面では、キャラクターは集団としての義務、忠誠、勇気が問われる。個人の判断は集団の価値に還元され、自己犠牲や勇ましさが美徳として強調される。倫理的な考え方は、集団の道徳を体に染み込ませる形で表現される。
一方、スタートレックは、個人の判断が倫理的に正しいかどうかを絶えず問い続ける物語だ。スポックの論理、ピカードの議論、カークの決断は、いずれもオペレーションを義務的に遂行するためのものではない。
彼らは行動に至るまで、「本当にこれでよいのか」という前提そのものを繰り返し問い直す。正解はあらかじめ固定されておらず、状況に応じて何度も再検証される。物語の中で集団として描かれる宇宙連邦は、「価値観」を基盤に結束している。ときおり示される「他文明の政治に干渉しない」といったルールは、その象徴だ。そこには、文明そのものに対する敬意という価値観が反映されている。
登場人物たちは連邦に属してはいるが、判断を委ねているわけではない。連邦は、個人が考え、議論するための参照系として機能している。そして、個々の倫理判断が対話と衝突を通じて積み重なり、やがて全体の判断を支える知性──すなわち公共知へと形成されていく。その過程そのものが、スタートレックという物語の中心にある。
この差は、日本と西欧の社会構造に対応して見える。道徳国家では、集団の規範が先にあり、個人はその中で行動を学ぶ。一方、例えばドイツは倫理国家だ。個人が考え、議論し、判断を公開することで集団の価値が検証される。この構造の違いは、道徳SFと倫理SFの物語体験の違いとして現れる。
参考にスターウォーズを挙げると、どちらかといえば道徳SF寄り。ヒーローの成長や二元論の構造に重きを置く。これがスタートレックよりも人気がある「日本」の事情のとして、一定の説明がつくだろう。
われわれはつい、「ヤマトの制服を着てしまう」という自覚
宇宙戦艦ヤマトが「道徳社会」、スタートレックが「倫理社会」の産物である。この写真は、倫理SFに道徳SFのユニフォームを着せるから、思考の枠組みと人物の身体がおかしく見える。同時に、これは日本社会に時々見られる倫理や哲学の論考を表している。日本社会は倫理・哲学を積極的に学ぶ姿勢を持っているのだが、それを咀嚼・援用・展開するときに、無意識に「道徳」に変えてしまうことがしばしばある。
例えば「ESGが大事」「ダイバーシティを推進」といった、「倫理社会」から生まれた考え方がある。これらはしばしば「善」として声を揃えて語られる。だが、その背後で「なぜそれが正しいのか?」という問いは、置き去りにされがちだ。(写真にはないが)それは、まるでヤマトの制服を着たスポックのような状態である。思考の枠組みと、身体がズレている。
倫理が道徳へと変換されてしまう傾向は、ある意味では避けがたい。重要なのは、それを止めることではない。「自分はいま、ついヤマトの制服を着ていないか」と意識することだ。その自覚があるだけで、これらのテーマをめぐる議論の質は、大きく変わる。
道徳は、ときに「絶対善」になりやすい。そしてヤマトの制服は、その「絶対善」を身体化する装置になりやすい、ということなのである。
この写真は笑えるが、そういう構造を読み解く材料になりそうだ。(了)

高松平藏 (たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。
著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」「ドイツの学校にはなぜ『部活』がないのか」など。当サイトの運営者。詳細こちら
