犬野郎、ぼろ犬、など犬を比喩にした蔑称は中世都市でも言われていた。なおこのビジュアルはAIによるものだが、このような犬種が中世の都市にいたのかどうかはわからない。

飼い犬の「スポック」を散歩に連れて行くと、「かわいい」「テディ・ベアみたい」とすれ違う人たちにチヤホヤされている。しかし「犬」を使った言葉をよく考えると、「負け犬」など、必ずしも良いイメージだけで語られていない。犬とは、思いのほかややこしい存在だ。

中世のドイツ都市においても、犬は人間社会のすぐ隣に生きる身近な存在で、「近すぎ」たのだろう。そして人間にとって有益な動物であると同時に、野良犬の発生もまた都市の大きな問題だった。この野良犬のイメージを被せる形で、社会の下層を不浄の象徴として蔑称に使われた。

この背景には中世都市の厳格な階層構造やギルド(職人組合)社会における、連帯と排除の論理が働いている。16世紀から18世紀にかけて、「犬野郎(Hundsfott)」「ぼろ犬(Lumpenhund)」「豚犬(Schweinehund)」など、犬を比喩として用いた蔑称が数多く登場する。こういう言葉は当時の職人たちが新しい都市住民に向けて発せられたようだ。

中世都市は市壁でぐるりと囲んで作られたため、「内」「外」が明確に分かれている。その中の都市社会が経済的・政治的に成長する一方で、新しい住民が加わる。それは「外」の農村から入ってくる貧民たちだった。こうした「都市の新参者」に対して、職人たちはおそれを抱いたのであろう。

当時の都市社会は「雇用されて働く」というスタイルではなく、職人社会であった。その集まりであるギルドは都市の社会秩序を守る者であり、外部からの者や地位の低い者を排除する防護壁でもあった。物理的に「市壁」で囲まれていた都市だが、都市社会に「人間の壁」もあった形だ。犬を比喩的に使った蔑称は「人間の壁」から発せられるミサイルのようなものだった。

このように中世の犬の蔑称は、社会秩序の構築過程そのものを映し出す鏡だ。残念ながら「よそ者」「新参者」に対する侮蔑・恐怖は今日の社会でもある。だが、蔑称としての「犬」はあまり聞かなくなった。(了)

参考文献:
Cohn, Hugo. Tiernamen als Schimpfwörter. Berlin: Weidmann, 1910.
阿部謹也『中世の星の下で』(ちくま文庫)

市壁や城壁は今もドイツの都市に残る。写真はニュルンベルク市で、左背後が城壁で、他の犬たちと散歩中。この城壁を超えたところが都市の発祥地でもある「都市の内側」になる。真ん中が飼い犬の「スポック」

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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら