日本とドイツの極右的主張は「自国民優先」という点では似ているが、背景は異なる

「日本人ファースト」という主張が強くなっていると聞く。この考え方は民主主義の観点からは明らかに違和感があるが、ドイツでも極右政党が「外国人流入過剰(Überfremdung)」と訴え支持を集めている。では、この二つの主張は何が同じで、何が違うのか?あえてシンプルに比較してみた。


近代国家とドイツの極右


「近代国家」とは、本来「理性で自己決定する私」という考えを基に、市民が自らの社会を批判的に作り変える仕組みだ。ドイツは第二次世界大戦後、「人間の尊厳」や「多様性」を重視することを土台にしてきた。しかしドイツの極右は、「外国人が増えると治安が悪化する」「雇用が奪われる」など、表向きは“合理的”に説明しつつ、実際は感情的な不安や排外感情を煽る。

ここには、啓蒙思想(理性重視)の限界という側面もある。極右は理性を装いながら、実は「感情の政治」を巧みに使っているかたちだ。


日本はどのような考え方で「国」を意識しているか?


一方、日本は表面上は近代国家だが、深層には「神話」や「物語」に基づく共同幻想が根強い。たとえば「日本は天皇を中心とした神の国」という森喜朗元首相の2000年の発言が象徴的だ。「日本人ファースト」というスローガンの背後には「日本は特別な国である」という信念があり、これが問題の原因を外部(外国人)に求めることにつながりやすい。

もちろん、日本社会でこのような「物語」を全員が強く信じているわけではない。むしろ経済成長信仰など、複雑に絡み合っている点も考慮する必要はある。


ドイツと比較することで前提を考え直す


日本とドイツの極右的主張は「自国民優先」という点では似ているが、背景は異なる。ドイツの極右は近代市民社会内部の不安から生まれ、日本は「物語」と共同幻想による共同体意識に支えられている。私は日本の現状はネットで知るのみで、現在の日本社会の「肌触り」のようなものはわからない。それにしても、あえて単純化すると、このような説明ができるだろう。

両国の違いを比較することで、日本が当然と考えていることを問い直すきっかけになるのではないか。議論は複雑だからこそ、時には前提を再考した方が良い。(了)


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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。