私たちはこんな時代に「持続可能性」を叫んでいた。整理してみた戦後から現代の時代区分。


世界の近現代史を振り返ると、「冷戦」、そしてそれに続く「逆説的世界開発」「多極的覇権競争」という三つの時代に分けることができるのではないか。ここで言う「逆説的世界開発」とは、西欧的価値観(人権・自由・平等など)がグローバルに普及する過程で、むしろ新たな格差や分断、矛盾が生み出されるという逆説的現象を指す。とりわけ1990年代以降の30年は、こうした価値観の普及が同時に新たな分断や矛盾を生んだ時代でもあった。ドイツ都市の観察を加え、従来の「ポスト冷戦」「グローバル化」とは異なる視点から時代区分を検討する


冷戦構造、二つの価値観が世界を分けた時代


1945年から1990年代初頭まで続いた冷戦は、米ソを中心とする二極構造のもとで進んだ。「民主主義・資本主義・自由経済」対「一党独裁・共産主義・計画経済」という価値と体制の競争は、両国が核兵器を持ち、お互いに攻撃すれば自分たちも大きな被害を受けるという恐れから、力の均衡が保たれていた。その中で、第三世界と呼ばれた国々の「開発」も、この対立構造の中に位置づけられた。

冷戦は暴力的衝突を一定程度抑制したが、同時にイデオロギーによる分断と代理戦争を各地で引き起こした。日本もまたこの枠組みのなかで、安全保障と経済成長を享受することができた。そしてその中で、西側的価値が「普遍性」を帯びたかのような錯覚も形成された。

時代区分冷戦
(1945〜1990年代初頭)
逆説的世界開発
(1990年代〜2020年)
多極的覇権競争
(2020年〜)
中心軸イデオロギーの対立グローバルな成長と包摂安全保障と競争の再燃
キーワード米ソ・核・代理戦争グローバリズム・人権・SDGs分断・経済安全保障・AI
特徴二極構造/国家主導一極化/市場と国際機関主導多極化/国家の再前面化
主な矛盾平和のための軍拡包摂という理想、排除という現実(=逆説)成長と安定の両立困難
象徴ベルリンの壁/冷戦終結9.11・リーマンショック・気候危機ウクライナ戦争/パンデミック後の分断
表. 第二次世界大戦後から現代に至るまでの世界の時代区分。逆説的世界開発とは? 成長と包摂を目指したはずの開発が、むしろ格差と排除を拡大させた時代だ(筆者作成)

「より良い社会」への世界的挑戦と現実、「逆説的開発の30年


冷戦終結後、世界は「人間の尊厳」を中心とした西欧的価値観をグローバルに展開する時代へと移行した。SDGs(持続可能な開発目標)やWHOの健康政策は、その象徴的存在だ。SDGsは欧州が策定したものではないが、「人間の尊厳」を軸に自由・平等・連帯・民主主義といった価値を再構成し(再帰的近代化としてのSDGs)、地球規模の課題として提示した点で、明確に西欧の近代以降の問題意識を反映している。

この「開発」は2010年代に世界の多くの国で開花する。私が住むドイツの10万人余りの都市でもそうだが、LGBTQやジェンダー平等、ダイバーシティ推進、#MeToo運動など、多様性と包摂を求める動きが広がった。都市部では、カラフルで開かれたイベントやデモが頻繁に行われ、「人間の尊厳」を可視化する場ともなった。ドイツの都市政策を方向づけた「新ライプチヒ憲章」においても、「人間中心の都市」という理念が中心に据えられている。

「開発」という言葉が本来持つ「より良い社会の構築」という意味で捉えると、こうした文化的・社会的動きもまた「開発の一形態」だ。しかし皮肉にも、経済・金融のグローバル化と同時に進行し、むしろ格差や不平等、排除を生む結果となった。つまり、価値の普及が目的であったにもかかわらず、それが新たな排除や反発を生むという「逆説」がこの時代の本質である。

そして、このような時代を、国家間の対立や市場の拡大を主軸にした「ポスト冷戦」や「グローバル化」という枠組みだけでは十分に捉えきれない。「逆説的世界開発」は、普遍的(とされれた)価値の拡張が、実は社会の分断を同時に引き起こすという、より文化的・社会的な観点から捉えた区分けとして定義したい。


ドイツ都市に見る「包摂」と「排除」の最前線


人間の尊厳を中核にした価値観の現在を世界に明示したものの一つが、2024年のパリオリンピックの開会式であろう。100年前なら「フリークショー」とみなされたような多様な身体性や性表現が、祝祭として肯定された。しかし嫌悪と反発の表明も多かった。まさに進歩と逆行が同時に進行している。

嫌悪と反発の表明を行ったのは極右の支持者が多いと言われる。とりわけドイツの極右勢力の台頭の背景には、産業構造の複雑化、難民・移民の増加などを背景に起こってきた。グローバル化の帰結とも言えるだろう。こうした課題は多層的で複雑だが、極右勢力はそれを排斥や単純化によって「解決」しようとする傾向がある。

日本からはわかりにくいのだが、これは民主主義的な価値とは相入れない。ドイツでは民主主義の破壊者に対して戦う「防衛的民主主義」という考え方がある。それで極右に対して反対運動が盛んになるのだ。象徴的なのは、私が住む町でも行われたが、LGBTQなどを擁護するデモも行われている。それに対して、極右勢力との小競り合いもあった。

つまり「カラフル」対「極右」とは、包摂と排除、自由と権威主義の間の価値観のせめぎ合いであり、都市はその最前線となっている。極右台頭によって、欧州で起こっていることは「価値観の闘争」なのである。

人口12万人のドイツ・エアランゲン市のパレード。レンボーカラーの傘をさしながら先頭を歩くヤニック市長と、ミュンヘンのドラァグクイーン、クリス・ブラックさん(2024年9月14日 筆者撮影)

異なるモデルがぶつかる時代価値観の地政学


世界に目を転じると、21世紀に入り、「逆説的世界開発」がもたらした価値と制度の不均衡に対する反発が、各国の政治を揺るがしている。中国やロシアが台頭し、アメリカの一極支配は揺らぎつつある。中東やアジア、アフリカにおける新興勢力も存在感を増している。世界は「多極化」し、2020年代は「覇権をめぐる競争」が激化する時代に入ったと表現できるだろう(多極的覇権競争)。

欧州で起こっていることは「価値観の闘争」と表現したが、この時代の世界的な特徴はさらに複雑な競争である。中国の権威主義的統治、ロシアの強権的秩序観、グローバルサウス(新興国)の独自開発モデルが、西欧的な自由・民主主義の価値観に必ずしも沿わない。「異なる価値観が衝突する地政学」が始まっている。

それにしても民主主義は今のところ多様な人々が共存する「最良のシステム」であろう。これは人間の尊厳を中心に、自由・平等・連帯といった価値観があってこそ機能する。そして「民主主義」と「豊かで強い社会」は相互に支え合っている。豊かで強い社会とは、包摂性・安定性・ダイナミズムが同居しており、持続可能性が高まる。この観点から言えば、「逆説的世界開発」時代の理念自体はあっている。

ドイツの選挙運動は、中心市街地で政党がスタンドを作り、直接対話を行うスタイル。2025年2月の選挙では極右政党だけは鉄柵で囲まれ、その周りを反対運動の市民が取り囲む。さらに、この近辺では警察が警備している。(エアランゲン市 2025年2月15日 筆者撮影)

民主主義の「不完全性」に可能性がある


一方、民主主義には完成形がない。歴史が示すように、弱点を突かれて崩れる危険性が常にある。ドイツはナチス台頭で合法的に民主主義が壊されていった。ドイツの「防衛的民主主義」はその歴史的教訓から導かれた。つまり、民主主義は絶えず理想型を検討しつつ、制度自体が強靭さを高め、そして柔軟に進化することが求められる。

これは言い換えれば、完成形がないこと自体に、民主主義の適応可能性と再構築力が存在するということである。そのように捉えると、多極的覇権競争時代に入った今日でも民主主義は共生のシステムとして有効だ。それだけに民主主義の柔軟性と力強さを引き出すことが課題だと思う。(了)


高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら
世界の最前線としてのドイツの地方都市


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。