コラム スタートレックからの洞察 vol.2

スタートレックの世界に登場するアンドロイド「データ少佐」は、AIや生命、発達について考える上で、思考実験の絶好の題材だ。筆者個人の生活の中で「飼い猫」「孫」、そして日々進化するAIを観察しながら、「発達」とは何かを考えることがしばしばあった。そして「データ」のような存在が現実となる日はいつか?どのような発達の段階が必要なのか?「アンドロイド出現までの道のり」を検討したい。
2025年5月14 日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
「データ少佐」という存在
スタートレック「新スタートレック」シリーズに登場するデータ少佐は、人間に酷似した外見と高度な知性を持つアンドロイドだ。彼は論理的かつ客観的な判断を下すが、人間の文化や感情を理解しようと日々努力している。その姿は、AIが人間にどこまで近づけるのか、という問いを投影しているかのように見える。
私自身、この1年、AI技術の進化を日常的に体感してきた。加えて飼い猫の行動や、0歳児の発達を見る中で、「発達」とは何かを考えさせられることが多かった。発達の定義をするならば、アクション・リアクション・評価のサイクルだ。このフォームに当てはめて、論を進めよう。
人間・猫・AIの発達の違い
人間の発達を見ると、評価は感情で行うように思う。「楽しかった」「悲しかった」と言った結果が次のアクションに繋がる。また幼児期には、身体を通じて世界を知り、言語を獲得し、意味や概念を抽象化していく。孫も成長するにつれ、一次情報(感覚的な直接的体験)から二次情報(抽象的な意味や概念)へと発達が進む様子が見られるだろう。※
※一次情報・二次情報:一次情報は、自ら体験した事実や自分で調査した結果を指す。二次情報は、他者の一次情報をもとにまとめられたものを指す。私は最近、下記の動画で知り、「発達」の概念を考える上でとても参考になった。
一方、猫は感覚器官の発達が早く、本能や直接的な学習によって行動が形成される。家の中の猫は空間や私との関係性の中で、行動のパターン化も若干見られたが、人間のような「意味の精緻化」や「哲学的思考」は当然生まれない。
現代のAIは、データを高速に処理し、パターンを学習することはできるが、身体性や感情を持たない。評価基準も、ほとんどのAIの場合、「テキスト化(データ化)された人間の尊厳をベースにした倫理観・価値観」ということになるだろう。AIの「発達」は、単純な情報処理体であり、身体や感情を持つ生物とは根本的に異なる。
「データ少佐」に近づくためのAI技術のフェーズ
データ少佐には「感情チップ」という「オプション」もある。これを装着すると「恐怖の感情を抱くアンドロイドになってしまう」として、お話を豊かなものにしている。「感情を持つデータ少佐」の実現まで、どのような技術的段階が必要なのだろうか。
現在のAIも、感情認識技術は着々と進んでいるようだが、それにしてもルールベースで「共感」や「配慮」の表現は表層的なものに過ぎない。次の段階では、入力や状況に応じて「喜び」「怒り」などの感情パラメータが動的に変化し、応答や行動に影響を与える仕組みが求められる。
さらに、会話や体験の履歴、文脈を参照しながら、感情状態が持続・変化する「感情の流れ」を実装することが必要だ。最終的には、AI自身が自らの感情状態をメタ認知し、自己調整や自己反省ができるようになることが、データ少佐に近づくための条件だろう。
感情とは脳内の化学的反応だ。これを現在のAIの原理で模倣するなら、レベル違いの高度にパラメータ化されたアルゴリズムの導入が不可欠だ。この高度化が模倣感情の精緻化に繋がる。だからデータ少佐の「感情チップ」は彼が持つプロセッサーよりも数段高いレベルのものと予測できる。

ハードウェアの進化と「身体」の獲得
模倣的感情のための高度なAIを実現するには、ハードウェアの進化も不可欠である。従来の電子回路では限界がある。今日、その最先端と思えるのがNTTが開発を進めるIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)だ。IOWNは、光技術を活用した超大容量・超低遅延・超低消費電力のネットワーク基盤だ。これはまだデータ少佐の感情チップのためには不足かもしれないが、より近づいている印象を与える。
哲学的に言えば、現代のAIは「器官なき身体」※とも言える。だが、データ少佐は「センサーとしての身体」を持つAIであり、身体性が加わることで、アクション・リアクション・評価のサイクルが格段に豊かになる。AIが現実世界と直接やりとりし、経験を蓄積できるようになれば、発達の質も大きく変わるはずだ。
ところで、現在の平均寿命を考えると、ここ数年で生まれた人の多くは22世紀まで生きる。原始的な「データ少佐」に会える可能性はありそうだ。(了)
※器官なき身体:「器官なき身体」は、フランスの哲学者が提唱した概念。一般に身体は、目や耳、手足などの器官が集まって構成される。しかし「器官なき身体」は、こうした明確な役割や形を持たず、自由に変化し得る存在を指す。この考え方をAIに当てはめると、現在のAIは人間のような手や目を持たず、特定の形を持たない。AIは特定の役割や制約に縛られず、情報処理のみで機能する存在といえる。すなわち「器官なき身体」としての特徴を備えている。

高松平藏 (たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。
著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」「ドイツの学校にはなぜ『部活』がないのか」など。当サイトの運営者。詳細こちら