民主主義はなぜジャーナリズムを必要とするのか? 下

民主主義は、制度を整えればそれで終わるものではない。選挙の透明性を支えるだけでなく、公共圏を維持し、公共知を育て、社会が自分自身を見失わないようにする働きが必要である。ところが、日本のジャーナリズムは、その役割を十分に引き受ける構造になっているとは言いがたい。情報を伝える力はあっても、それを公共的な議論へと開く力が弱くなりやすいからだ。「民主主義には絶対はずせない二つの条件がある」の続きをお送りする。
2026年5月16日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
技術変化と公共圏

民主主義は、技術の変化にも強く影響される。活版印刷、ラジオ、テレビ、そしてインターネットやSNSは、情報の広がり方を一変させてきた。技術が変われば、公共圏※の形も変わる。いまは情報がかつてない速さで広がる一方で、誤情報や分断も起こりやすい。
※社会の問題について、人びとが立場の違いをこえて自由に意見を交わせる場のことだ。新聞、テレビ、書籍、討論会、インターネットなどは、その公共圏を形づくる大切な要素である。
だから現代のジャーナリズムには、ただ早く伝えるだけでなく、情報を整理し、比較し、信頼できる形に整える力が求められる。それが「編集」だ。公共圏での議論で問いを立てる信頼ある材料を提示することにつながる。
ドイツのジャーナリズムでは、この考え方が広く共有されている。とくに高級紙(クオリティペーパー)※と呼ばれる新聞には、出来事の背景や構造を読み解こうとする傾向が強い。出来事をそのまま伝えるのではなく、社会のどういう構造が出来事を引き起こしたかを問う。その姿勢が、新聞に対する信頼の一部をつくっている。
※「クオリティペーパー」とは、一般に、事実報道だけでなく、背景や構造の分析、論点整理を重視する新聞を指す。英語圏やドイツでは比較的なじみのある概念だが、日本では必ずしも広く共有された用語ではない。
わかりやすい例えをするならば、交通事故を起こしたドライバーの説明だけでなく、標識や信号、道路設計といった構造が事故をもたらしたのではないか、というアプローチだ。ここでドライバー個人ばかりを執拗に追いかければ、報道は構造を問う視点を失い、ほとんどゴシップに近づいてしまう。
また地方紙の数も多い。人口12万人ほどのエアランゲンでも、街の名を冠した新聞がある。もっと小さな都市にも、地域に根ざした新聞が生きている。こうした新聞は、地方の情報媒体という以上に、地方の公共圏を形作る「見えない仕組み(メタインフラ)」である。民主主義にとって不可欠だという理解が比較的共有されている。
日本のジャーナリズムの構造
民主主義にとってジャーナリズムは不可欠といった時、日本では課題が多い。だがこれは記者個人の努力不足ではない。組織の構造が、公共圏よりも内部のルールを優先しやすいところにある。情報を取る力はあっても、それを社会の議論へとつなげる力が弱くなりやすい。
そのことを端的に示すのが、記者の自己像である。日本では長く、「新聞社の記者はジャーナリストである前に会社員だ」と、半ば自嘲をこめて語られてきた。これに対してドイツでは、「会社員であることは当然としても、本業はジャーナリストだ」という感覚が比較的強いように見える。これは現地のジャーナリストたちと話していても感じるところで、やや大げさに言えば、公共圏を形成する実践の担い手こそジャーナリストだ、という感覚である。
制度面では、日本の記者クラブがよく批判される。問題は単純ではないが、少なくとも情報の入口を狭めやすい仕組みだ。その結果、報道は問いを立てるというよりも、公式発表を整えて配るという機能が際立つ。だが、民主主義に必要なジャーナリズムは、社会が何を考えるべきかを示し、共通の知識を育て、意見を自由に交わせる空間を支えるものでなければならない。
批判の枠組みを再考する
日本において「民主主義とジャーナリズム」をめぐる問いの立て方は違和感がある。日本では「偏向報道」や「マスゴミ」という言葉がよく使われるが、これらの言葉は感情的に強いぶん、議論を粗くしている。
「偏向」という言い方には、どこかに正しい中立があり、メディアがそこから外れているという前提がある。だが実際には、事実と、それに対する解釈や構造分析は分けて読む必要がある。そこにこそ、新聞社や書き手ごとの差異の意味がある。
また、マスコミとはジャーナリズムの実践を媒介する「制度的容器」にすぎない。したがって、問うべきなのは媒体そのものを雑に切り捨てることではなく、その容器のなかでジャーナリズムがどのように機能しているかである。経営や運営の問題を含めつつ、公共圏をどう支えているのかを構造的に問う必要がある。
民主主義に完成形がないということは、国や地域によって歴史や文化を反映した「方言民主主義」とでもいうような、さまざまな形があるということだ。それ自体は問題ではない。だが、選挙が本当に透明であることと、だれでも自由に意見を言える公共の場があること、この二つだけは決して外せない条件である。「民主主義に必要なジャーナリズムとは何か」を問い続けること自体が、公共圏を再設計する知的作業なのだ。(了)
著書紹介(詳しくはこちら)
都市社会の民主主義についてのヒント

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら


