なぜ今、日本に公共知の拡大が必要か ― ドイツ的視点を手がかりに <上>

「問いの仕方ひとつで議論の深さは変わる」。個人や組織での思考の質を高める経験から、私はこの単純だが本質的な事実を強く感じる。本編では、個人修練やプロジェクト運営の場で用いられる思考技法を紹介し、公共知との関係を考える。3回シリーズの1回目
2025年12月1日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
3回シリーズ なぜ今、日本に公共知の拡大が必要か ― ドイツ的視点を手がかりに
上・「問い」と「議論」には深い関係がある(これを今あなたは読んでいます)
中・思考の射程と、日本社会の弱点
下・個人や組織のレベルを超えた「問いの質」という課題

ジャーナリストの仕事の一つは「質問」である。経験的に言えば、質問の仕方ひとつで相手の返答は変わる。またネット上で取材対象者の基本的な情報が容易に得られやすい時代には、それを踏まえた「一段上」の問いの重要性が増している。こうした経験から、議論の質は「問いの質」に左右されると強く感じるようになった。私が主宰する研修プログラムでも、参加者が多様で精緻な問いを立てられるようにすることを目標の一つにしている。
そんな折、映画『キューティ・ブロンド』(2001年)のワンシーンでアメリカのロー・スクールが「ソクラテスメソッド」を用いる場面を目にした。これは古代ギリシャの哲学者ソクラテスが用いた対話法で、「それは何か」「なぜそう考えるのか」と問いを重ね、定義の曖昧さや論理の矛盾を明らかにする。特定の答えに誘導せず、問いそのものを手がかりに思考の地図を広げる点が特徴だ。
重要なのは一人の思いつきの域を超えていること。これで誰もが確かめられる知識の土台を作ることができる。社会の側へ開かれた「公共知」※をつくる方法論と言える。だからこそ、法という公共性の高い領域で扱われるロー・スクールに適しているのだろう。
※公共知 個人的な知識とは異なり、誰もがアクセスでき、共有可能な客観的な知識。公的な議論や集団的意思決定、社会プロセスの基盤となる知の集合体。
この手法は欧州の啓蒙思想が持つ「永久思考」※と相性が良い。啓蒙思想とは17〜18世紀ヨーロッパで展開された理性と批判を重視する思想潮流で、人間の理性を信じ、教育・公共議論・科学を通じて社会を進歩させようとする試みだ。現状の「常識」「当たり前」を常に見直し(批判)、再解釈し続けることが、この「永久思考」の本質である。
※啓蒙思想的永久思考 社会の前提や価値をいったん外側から捉え直し、「なぜか」を考え続ける思考(高松による整理)。批判と再解釈を通じて公共知や議論の質を高める基礎となる。重要なのは「批判」とは否定ではなく、情報や意見の妥当性を体系的に検証し、より正確に理解するための手段であること。
日本の「問いと議論」の作法–武道と壁打ち
一方、ソクラテスメソッドが日本の「武道的思考」にも近いものがあると思う。禅問答や稽古の場では、簡単には答えの出ない問いを反復することで、身体感覚や思考の癖が浮かび上がる。また「修行は終わることはない」と言う認識が強く、この点では、「永久思考」でもある。だが欧州型と武道型の違いは「どこに行きつく思考なのか」という射程にある。武道的思考は個人の修練プロセスで完結する傾向が強い。
21世紀に入り、ビジネスの現場では「壁打ち思考」というアプローチが出てきた。自分の案や仮説をメモやチームの同僚・職場の上司、あるいは AI にぶつけ、跳ね返ってきた反応で自分の考えを整える。これは個人やプロジェクトの範囲では非常に有効だ。しかし、公共知に届くとは限らない。射程は現実的で、短く、実務に近い。
こうして考えると、問いを扱う技法には3つの層がある。
- 個人修練の「武道的思考」
- プロジェクト実践の「壁打ち思考」
- 公共知深化の「啓蒙思想的永久思考」
それにしても問いの質は、それぞれの領域での議論の質を高めることになる。(次に続く)
参考文献:
フォーブスジャパン編集部. (2025年4月10日). 「壁打ち」の意味とは?ビジネスシーンでの使い方と類義語・言い換え表現を例文付きで徹底解説. Forbes Japan. https://forbesjapan.com/articles/detail/78351
著書紹介(詳しくはこちら)
都市社会の民主主義についてのヒント

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら


