古い歴史のあるルクセンブルク。古城跡の向こうにビル建設の様子が見える。そして中国の銀行が目についた。

フランス・ドイツ・ベルギーに囲まれた小国、ルクセンブルク大公国は人口約68万人。しかし金融大国として、一人当たりのGDPはトップだ。そんな国の首都ルクセンブルク市(人口約14万人)を歩くと、複数の中国の銀行が目についたのが印象的だった。


金融大国を築いた欧州の小国ルクセンブルク


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ルクセンブルクは金融の強さを象徴するように、大小さまざまな銀行が街に点在している。なかでも「シュペアカース(ルクセンブルクの国営貯蓄銀行)」の本店は、お城のような歴史的建築物(=写真)に入居し、金融都市としての威厳を漂わせている。

金融経済への国家的舵取りは1970年代にまで遡る。ルクセンブルクの伝統的な産業であった鉄鋼業は国際競争の激化やコスト高騰などで大きな打撃を受け、経済の柱としての地位が低下した。

これに対して政府は経済の多角化を進め、特に金融セクターの育成に力を入れた。1980年代にはタックスヘイブンとしての優れた税制を整備し、多国籍企業の誘致や資産運用ビジネスの拠点化を推進した。この政策転換により、ルクセンブルクは小国ながら欧州の重要な金融センターへと急成長した。

「シュペアカース(ルクセンブルクの国営貯蓄銀行)」の本店。同行は市内にあちらこちらで見かけた。伝統的な国営貯蓄銀行で、一般の預金や融資のほか地元経済支援も手がけている。(2025年8月6日 筆者撮影)

積極的な中国の銀行 


そんなルクセンブルクでは、中国の銀行が多く目につく。そもそも昨今、ヨーロッパの主要都市を訪ねると「一等地」に中国銀行が所在するのを見かける。ルクセンブルク市の中心を歩くと、中国銀行のみならず、中国建設銀行、中国光大銀行を見つけた。他にも中国工商銀行 (ICBC)、中国農業銀行、中国招商銀行、交通銀行なども拠点を置く。

中国銀行はヨーロッパの主要都市を訪ねると、「一等地」で見かけることがよくある。(2025年8月6日 筆者撮影)

最初にルクセンブルクに進出したのは中国銀行だ。
ルクセンブルクが金融大国へと動き出す約1年前の1979年である。時系列で見ると、これは戦略的なタイミングであり、ルクセンブルクと中国の双方が互いの発展を加速させる意図を持って動いたと推測できる。

2000年代に入ってからは、中国の他行も進出。日本の銀行はというと、 Nomura Bank Luxembourg S.A. のみと見られる。

日本に目を転じると、少子高齢化で国内市場が縮小が進む。今後は、日本独自の商品・サービスの深化と、同時に海外市場展開の両面が今後の重要な課題となるだろう。この点で、欧州における日本の銀行の存在感の低さと、中国の銀行が主要都市の一等地に軒並み進出している現状は対照的であり、将来的な展望には慎重な見方が必要だ。(了)


参考文献:
CONNECTING CHINA AND EUROPE – Luxembourg for Finance (2025)
https://www.luxembourgforfinance.com/en/publication-article/connecting-china-and-europe/


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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら