

筆者が住むエアランゲンの地方紙の「世界が大阪を訪ねている」と題する記事で、万博(EXPO 2025)の開幕を伝えている。あくまでも一般向けの記事だが冷静な視点と国際的な文脈が盛り込まれている。
記事は、160以上の国や地域、国際機関が「未来の社会」をテーマに展示を行うイベントの概要に触れつつ、会場を囲む巨大木造建築「グランドリング」に注目する。主催者の意図として、「多様性と統一性」を象徴しようとするこの構造物が、地政学的緊張の時代にあって特別な意味を持つと、国際的な政治状況と重ねて紹介されている。
また、記事は日本国内での関心の低さや予算の大幅増(14億ユーロ)といった現実的な課題にも触れ、来場者数の見込み(2800万人)と過去の万博(1970年)の実績(6400万人)を対比。展示内容としては、iPS細胞で作られた鼓動する心臓や、藻類によるCO₂吸収の実験、廃棄物を再利用するエネルギー装置などを紹介しつつ、それらが持続可能性の課題にどう結びつくのかを伝えている。
(エアランガーナッハリヒテン紙 2025年4月14日付より)
解説 フォーマットとしての万博とその役割
筆者は万博に足を運んだわけではない。しかし万博の起源、世界・日本の歴史的な流れから次のようなことが言える。
万博は19世紀に「発展」と「進歩」を象徴するイベントとして誕生し、技術革新や国家の威信を競う「国際ショーケース」の役割を担ってきた。1970年大阪万博はその典型、日本の高度成長を世界にアピールした。しかし、一般にこの手のイベントはデジタル化が進む現代では、物理的な展示の影響力は相対的に低下している。また開発機会とされる大規模投資に対する経済効果の持続性も疑問だ。
日本の発展モデルと万博

戦後日本の成長は、「集団主義」「長幼の序」といった前近代的価値観を近代化のエンジンに転換する「再帰的前近代化」というモデルで実現した。1970年万博はこのモデルと整合性が高く、経済成長と社会的一体性を象徴する機会となった。
しかし1990年代以降、このモデルは機能不全に陥る。終身雇用の崩壊やコミュニティをどうデザインすべきかという課題が出てくるのがその一例だ。
地域発展のジレンマ
大阪・関西の視点で見ると、万博投資の「一点集中型」リスクが顕著だ。1970年はインフラ整備が都市圏全体に影響を及ぼした。しかし、2025年は既存インフラの活用が中心だ。これ自体は今日的だが、言い換えれば投資による開発とは何か、という問いに対する議論が見えにくい。つまり一時的な観光需要増にとどまる可能性が高い。
以上のことから、フォーマットとしての万博が持つ意味から考えると、今回と前回の比較・検証を行い、日本の発展モデル「再帰的前近代化」を詳細に検証する機会と捉えてみてはどうだろうかと思う。(2025年4月14日 高松 平藏)
高松 平藏 (たかまつへいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。地方の「都市発展」がテーマ。プロフィールの詳細はこちら。執筆・講演依頼などはこちら。このサイトの運営者