欧州の深いところから、日本の危機の原因を考える
滋賀県守山市の元市長・宮本和宏さんは、昨年9月からパリのOECDの研究員としてボランティアについての研究を行っている。3回にわたってお送りした対談の最終回は、約8ヶ月の滞在で見たヨーロッパと、彼の地から見た日本の問題について話した。なお、初回はパリが理念先行型で自転車道を作る様子を、前回は欧州のボランティアが成り立つ理由を考えた。
公開日:2024年7月5日 内容は対談日の2024年5月8日現在のもの
個人のメンタリティと「公共」から読み解く
高松:「なぜボランティアやるのですか?」と言うある調査でね、一番多かったのが「楽しいから」。いたってシンプルです。
宮本:そうですね。
高松:ボランティアについて、日本とドイツを比べたときに2つ大きな違いがあるように思うんです。ひとつは、メンタリティの問題。多数の「個人」の社交の総体を社会と呼ぶわけですが、ここでいうドイツの個人のメンタリティは「理性で自己決定する私」なんです。日本はというと「集団の中の私」のような集団自我。どうしても、自分が属している、あるいは属していると思い込んでる集団を優先させています。
宮本:なるほど。
宮本和宏(みやもと かずひろ)
滋賀県守山市(人口約8.5万人)の元市長。1996年に現・国交省に入省。2011年に市長に当選し、3期12年務めた。2023年2月の任期満了で引退し、同年8月からパリへ1年の予定で拠点を移す。OECDの研究員としてボランティアに関するリサーチを行っている。市長時代に自転車首長会の立ち上げに関わる(現在、400以上の市区町村の長が参加)。
高松:二つ目が「公共」に対する理解とか感覚ですね。これは都市の発展経緯など、いろいろな要因があるのですが、ヨーロッパの人たちにとっての身体化されたような「公共」がある。
宮本:はい。
高松:日本で「公共」といえば「ほかの人に迷惑をかけない」と言う話がまず出てくる。それは確かに大事なんですけど、欧州の人々にとっては、アイデアの提案やイニシアティブをとったり志願するなどの「自己決定で手を挙げる自由」もある空間が「公共」です。宮本さんが欧州でご覧になったり、感じたりされたのも、そう言う部分じゃないかなと思います。
高松平藏 (たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。詳細こちら
フランスの強力なよりどころ、「自由・平等・博愛」
宮本:フランスはご存知通り、社会の、国の目指すべき点は自由、平等、博愛(連帯)で、その3つはフランスで本当に浸透しています。じゃあ日本の社会の理念はなんだと言えば、おそらく憲法に遡る。ここでは基本的人権の尊重も書かれていますが、ヨーロッパでの理解とは異なります。
高松:はい。
宮本:人権や自由といった拠り所となる理念を、日本の憲法では説明し切れておらず、さらにいろんな解釈があります。また、アメリカから押しつけられたものとして憲法自体の存在意義を疑問視する声もある。以上のことから、日本は、依って立つ社会理念や概念を共有化できていない。今の時代こそしっかり共有しなければならないと思いますね。
高松:フランスの学校の校舎に「自由・平等・博愛」って貼ってあるのを見たことがあります。
宮本:公共施設に必ず貼ってあります。
高松:見方を変えると教条的というか、それぐらいやらないと浸透しないということでもあるのでしょう。そして、一方でフランスが掲げているような価値観が世界のスタンダードになってるようなところがあると思うんですね。
宮本:そうですね。
高松:日本はこういった価値観を深く理解できていないと言えるわけですが、一方で伝統的な価値観との衝突や混乱も絶えず起こっている。例えば人間のまとまった集団を、日本では「世間」と呼んでいます。その時の都合に合わせて「世間」を使ったり「社会」を使ったりと、ダブルスタンダード。だからこそ、西洋から輸入したものについて、ここでもう一回きちんと勉強しませんか、というのが私の意見です。
宮本:そうですね。フランスならば「フランス革命」があり、その後も決して順風満帆ではなく、歴史と共に苦労しながら作り上げてきた理念だと思うんです。社会の仕組みもそうです。
高松:はい。
宮本:日本は明治維新があって、西洋に学びながら日本帝国憲法作り近代化を図った。第二次世界大戦でまた大きく変わります。自分たちで考え経験をしながら自分たちで作り上げることが、過程として抜けてきたように思います。現在、憲法は一つの日本の依るべきものですので、それをしっかり共有することが本当に大事だと思います。
人が人を助けることを「連帯」と呼ぶ
高松:人が人を助ける原理も日本とヨーロッパ、ちょっと違います。例えば車椅子の人が上の階へ行きたいとします。すると、通りかかった人が「自己決定」で車椅子の人の手伝いをする。これで車椅子の人の「自由」を実現するかたちです。連帯って呼ばれるものですね。
宮本:なるほど。
高松:フランスの「自由・平等・博愛」の「博愛」は連帯に相当するそうですが、個人の自由がまずあって、そして誰もが自由にできる機会の平等がある。そして困っている人を助けることで、その人の自由を実現する連帯。こうやって「自由」という概念をより高次のものにしています。
宮本:日本では「結果の平等」ばかり言われがちですね。他方、パリの地下鉄ってハード的なバリアフリーが全然されてないんです。しかし、おそらく何の問題もないと皆思っている。地下鉄の駅でベビーカーや車椅子の人が降りようとすると、そばにいる誰かが必ず手伝うからです。
高松:日本だと、例えば東日本大震災の時そうなんですけど、助け合いの人間関係を、絆っていう言葉で表現されます。語源的に言えば絆は牛や馬を繋いでおく綱です。転じて「親子の絆」や、この世で一緒になれない男女が心中によって、あの世で永遠に結ばれる「男女の絆」と言った使い方になる。とても強いつながりです。
宮本:なるほど。
高松:そういう強いつながりは良いように見えますが、裏を返して言えば、自己決定で助けたいとか、自己決定で繋がる・離れるという余地があまりない概念です。日本の地縁組織はどちらかと言えば絆に近い繋がり方をしていた。価値観や人口動態などの変化を考えると、連帯に変わった方が良い。そういう局面に入っているように思います。
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