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井澤:彼女がいうには※、都市として生きて行くためには多様性が不可欠だと。都市は高密度であるから集積・集中という概念は外せないって書いている。

高松:都市の定義って案外難しいですが、集積性というのは共通点です。

井澤:それで、用途は混在しているとか、小さな街区がいっぱい集まってる。新しい建物、古い建物がいっぱいあって混ざっている。その中の4つ目に人口密集がある。このような都市の多様性が都市の魅力を高めるというか、存続を高めていくというわけです。

ジェイン・ジェイコブス「アメリカの大都市の死と生」

ジェイコブスの四大原則

  1. 街路は狭く、折れ曲がっていて、各ブロックが短いこと
  2. 各地区には古い建物ができるだけ多く残っていることが望ましい
  3. 各地区は必ず2つ、またはれ以上の機能があること。自然発生的な多様性が必要
  4. 十分な人口密度が各地区にあるべき。これは実際に住んでみて魅力的な街であることを表している

高松:そうですね。

井澤:これがコロナの中でどうなのかなというのが、非常に興味のあるところ。都市問題を扱う社会学者や地理学者、都市計画関係者なんかにとって、研究課題を与えられた。これから研究しつくぞというふうになっているように思います。


公衆衛生の限界か?


高松:集積性の高い都市で密を避ける公衆衛生というのはアクセルとブレーキを同時に踏むようなところがあります。一言で言うと、どこで折り合いつけるかみたいな話になってしまうと思うんですよね。

井澤:そうですね。 中世のヨーロッパなんか昔は下水道がなくて、糞便や小便、生ゴミみんな路上に捨てていた時代があった。当然、いろんな病気が蔓延するので、公衆衛生いう概念が発達した。それで『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンじゃないんだけど、下水道の整備が行われるようになった。

高松:バルジャンが警察に追われて下水に逃げる。19世紀のパリを舞台にした物語ですが、この都市に当時下水道があるのがよくわかる。

中世の都市は道に糞尿が捨てられた状態だった。そのため靴に加えて底を高くするサンダル状のものを履いた。


井澤:ここでコロナの様子を見ると、今までの公衆衛生概念では駄目なのかというような状態です。今やアクリル板や透明のビニールを間において唾が飛ばないようにしています。フェイスシールドやマウスシールドなんかでも対応している。

高松:21世紀の公衆衛生でも太刀打ちできないと。

井澤:自宅近所のコンビニで中国の方がアルバイトで働いているんです。ある時、今までマスクだったのが、急にフェイスシールドに付け替えた。理由をきけば、すぐそばの専門学校から患者が出たからとのこと。なんともわかりやすい行動です。

高松:個別の行動変容になっているわけですね。

井澤:そうです。公衆衛生の問題、感染症どう防ぐかということは、人々の行動様式がどう変えるかというようなテーマが内包している。どう思いますか?

高松:広い意味での社会的なデザインが必要なんでしょうけど、欧州の場合、まずは権力介入ですね。


まずは権力介入


井澤:コロナ禍、ドイツでマスク着用義務や外出制限があって、違反すると罰金が課せられるとか。

高松:そうなんです。日本の場合、自粛とか我慢になるでしょう。そもそも「自粛を要請」なんて、言い回しはすごくおかしい。

井澤:そうですね。

制限下、市街中心地はマスク着用義務に。警察が定期的に巡回している。(エアランゲン市 2021年3月)


高松:それに対してドイツは明確なルールを作りました。だから警察がコントロールする。宇野重規さん(東京大学教授)なんかは欧州の様子を見て、「権力介入という古典的な方法」とも書いておられましたが、ドイツはそのとおり。その後、色々とおかしな展開にもなってくるのですが、初期にはこういう国が持つ原理のようなものが分かりやすい形で出てきたと思えるるんです。

井澤:日本は責任を曖昧にしたいからね。

高松:そうですね。一方、権力介入は公共の空間の安全性・信頼性を担保しようという風に見えるんですよ。

井澤:どういうことでしょう?


公共空間の信頼性を担保する


高松:会社を例にあげましょう。ドイツの場合、病気になったら有給とは別に簡単に休める。働く側から見るとありがたい制度ですが、一方で職場から感染源を排除しようという考えも見てとれる。

井澤:なるほど。

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