なぜ今、日本に公共知の拡大が必要か ― ドイツ的視点を手がかりに <中>

個人やプロジェクトで有効な思考法は、社会全体の公共知にまで射程を広げるには限界がある。前編で整理した3つの問いを扱う思考法を踏まえ、ここでは、日本社会が苦手としてきた「啓蒙思想的永久思考」※ の領域と、その歴史的背景を整理する。
3つ思考法とは「武道的思考」(個人的修練)、「壁打ち思考」(プロジェクト実践)、「啓蒙思想的永久思考」(公共知深化)である。3回シリーズの2回目。
※啓蒙思想的永久思考 社会の前提や価値をいったん外側から捉え直し、「なぜか」を考え続ける思考(高松による整理)。批判と再解釈を通じて公共知や議論の質を高める基礎となる。重要なのは「批判」とは否定ではなく、情報や意見の妥当性を体系的に検証し、より正確に理解するための手段であること。
2025年12月2日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
3回シリーズ なぜ今、日本に公共知の拡大が必要か ― ドイツ的視点を手がかりに
上・「問い」と「議論」には深い関係がある
中・思考の射程と、日本社会の弱点(これを今あなたは読んでいます)
下・個人や組織のレベルを超えた「問いの質」という課題

3つの思考法の比較から、日本社会には個人(武道的思考)とプロジェクト・実践(壁打ち思考)はあるが、公共知への射程が弱いことが見えてくる。これは近代国家の形成の過程で、公共知※を支える論争文化が十分に育たなかった歴史的経緯が背景にある。現代の日本で「正解のない学習」やフランスのバカロレアへの関心が高まるのは、この射程に対する希求の現れだ。しかし、制度を実装するには時間を要する。
※公共知 個人的な知識とは異なり、誰もがアクセスでき、共有可能な客観的な知識。公的な議論や集団的意思決定、社会プロセスの基盤となる知の集合体。
私はバカロレアについては不案内だが、ドイツのよく似た制度「アビトゥア」を見ておこう。――これは、あくまでも日本社会から見て「両者は似ている」という大雑把な括り方であることを一言述べておく。

ドイツの大学入学資格の、特に人文系の科目のテストでは、自由や平等、人間の尊厳、民主主義といった近代の「価値」をベースに論じることが求められ、筆記だけではなく口頭試験もある。批判と再解釈の力が問われるのだ。この点にギリシャ哲学以来の「知の作法」として感じる。バカロレアでは哲学のエッセーが必修と聞くが、これも同様のものであろう。
ちなみに、ドイツの柔道の昇段試験では、実技だけではなく口頭試験もある。非欧州の外国人の視点で見ると、ドイツで昇段試験の内容を設計するときに「当然、口頭試験もあるべき」という了解があったのではと想像する。「武道」が欧州的な「知の作法」の中に吸収された形だ。
日本の思考法の限界を考える
一方で、武道的思考は日本固有の歴史の中で長らく有効だった。特に第二次世界大戦対戦後の日本の経済成長は、長幼の序などの戦前の道徳教育をベースにした前近代的な価値観の強化によって成し遂げられた(「再帰的前近代化モデル」)。繰り返しの練習で形を習得し、その形の範囲でさらなる高みを目指すような発想である。基本は個人の内面を整え、「一生修行」と励む武道的思考と相性が良い。
ここでいう「生涯修行者」とは、技能やノウハウの習得と人格の成熟が切り離せず、両者が一体化した「人間の見方」でもある。こうした考え方の下でも、創造性やイノベーションが生まれることもある。しかし組織内の修練や経験主義とも親和性が高く、個人の謙虚さや全体の調和が優先される文化の一角を作る。これでは、質問すら「調和を乱す」と敬遠されやすい。
また、「技能・経験と人格の一体化」とは、意見と人格を分けて考えることが難しいということだ。だから批判が「人格否定」と受け取られやすい。本来、批判とは否定ではなく、情報や意見の妥当性を体系的に検証し、より正確に理解するための手段である。これでは、自分の環境(社会)を構造的に捉え、変革が必要という発想には繋がりにくい。
21世紀に入り、社会が複雑化し、多様なアクターが関わる問題が増えると、個人の内面を整えるだけでは議論が深まらない場面が増えてきた。そこで登場したのが、実践的で軽量な「壁打ち思考」であろう。自分の案や仮説をメモや上司・同僚などにぶつけ、反応を得て考えを整える方法だ。個人やプロジェクトの判断には非常に有効で、スピードも上げやすい。しかし、社会や政治の方向性を考えるには射程が短い。公共的な論争や価値の再構築には届きにくい。(次回に続く)
著書紹介(詳しくはこちら)
都市社会の民主主義についてのヒント

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら



