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中村:そうですね。2020年から大学でスポーツ社会学を学んでいます。そうするとオリンピックは様々なものが絡んでいて、純粋なスポーツの祭典ではないと知りました。

高松:選手の目線からいうとどうですか?

中村:オリンピックは色々なことに利用されていると感じるし、選手も消費されているんだなと。選手の立場は弱いなと感じました。あるいは都合の良いように、選手は使われてしまうなとも思います。現役から離れてみて、違う見方があると知りました

高松:深刻ですね。

開催地が東京に決まったことを報じるスポーツ紙(2013年9月9日 撮影=高松平藏)

中村:以前は「五輪に向けて、夢に向かって頑張る」のは素晴らしいこと、そう言われました。しかし今では表明した意見によっては「わがまま」と受け取られることも一部であり、世の中の変わりように少し怖さも感じてしまいます。

高松:現役選手について、どんなふうに見えますか?

中村:かなり複雑ですね。というのも私も選手の時には、「オリンピックこそ全て」という価値観でやっていた。それだけにオリンピック開催をめぐる議論の中で、今の選手はとても辛い状況ではないかと思います。


オリンピックはギリシャに固定してみれば?


高松:IOCにまつわる「カネ」「政治」などの詳細はわかりかねます。ただ、オリンピックには理念がある。それゆえに、IOCがオリンピックの価値や哲学をきちんと表明・確認・議論の機会を頻繁に作るべきだと考えます。方式からいえば、「ギリシャ固定型」に変更したほうがよいのではと。

中村:というと?

東京オリンピック招致活動中に使われたバッジ


高松:たとえば従来どおり、開催は4年に1度。場所はギリシャに固定。競技だけでなく、スポーツに関する文化や学術について会議を行うようなスタイルにする。そうするとオリンピックの哲学を際立たせることができる。

中村:面白いですね。

高松:さらにギリシャにも「オリンピック経済」「スポーツに関する知」といったクラスターができます。地政学的にもスポーツによる「平和」が期待できる。


アスリートの中で大きくなる価値観


高松:お話をきいていると、「オリンピックが全て」という価値観が曲者に思えました。ご自身の体験でいうと、どのようにして、自分の中で形成されたのでしょう?

中村:私なりにたどると、はじまりは中学生ごろ。オリンピック選手はすごい!かっこいい!っていうのは、テレビなどを見て影響された。選手同士の中でも大きくなります。

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