前のページからの続き:1 2 3



有山:はい。大学の授業でね、「オリンピックの延期どう思うか」と問うと、ほとんどの学生が「やめたらいいと思う」という。また、勝つことにはあまりこだわりがない。もちろん勝つことの楽しさもあるが、もっと多様な楽しさを求めているという感じがしますね。 

高松:ということは、今は指導者と選手のギャップが一番大きい時期といえそうです。

有山:そうですね。それが部活問題のひとつの様相であるし、日本社会の縮図でもあります。

高松:10年もすれば、指導者の質も変わり、今の部活問題にも影響しそうです。


戦略を持たない」という戦略


高松:ドイツのスポーツ史、特に戦後をみると、社会全体で健康や生活の質などに関する理想形を提示し、そこへスポーツもついていっている。これが大雑把な理解です。

有山:はい。

高松:それでね、スポーツ側もただプログラムを作るだけでなく、健康とか教育などの意味づけ・意義付けをしていく。ドイツをみていると、社会とスポーツにそんな関係が見いだせる。具体的に書いたのが拙著。私が住むエアランゲン市を中心に、ドイツの都市で「スポーツの価値」がどのようなかたちで「都市の質」に反映しているかに言及している。

有山:なるほど。


高松平藏の著書「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」(学芸出版)

スポーツは社会の一部であり、社会をつくるエンジン。
(書影をクリックするとAmazonに飛びます)




高松:一方、日本を見るとね、社会全体の理想をうちたて、それに沿ってスポーツはどうしていくかといったところが弱かった。あるいは西洋に追いつけ追い越せという開発国の発想のままで20世紀がおわってしまった。

有山:同感です。私は日本は「戦術」が際立ち、戦略を立てない国だと思う。自らは自然体で、相手の気配や空気を読んで臨機応変に応じる。つまり、相手に合わせた変幻自在な戦術が真骨頂。武道の闘い方を見てもそれはよくわかる。

高松:なるほど。

『日本という国は、相手に合わせた変幻自在な戦術が真骨頂なんです』(有山さん)



有山:しかし、それは良い悪いではない。多くの自然災害に見舞われる日本、強大な中国を隣国に持つ日本、どうしようもなく自らの弱さを自覚せざるを得なかった日本人なりの選択です。

高松:はい。

有山:それで「『戦略を持たない』という戦略」を選んだということでしょう。戦略をある意味放棄しているのだから、WhatとかWhyといった根本的な問いを立てる発想はどうしようもなく弱い。悪く言えば、相手任せで主体性がない。

ページ:1 2 3

次ページ 「衝突しない」ことが最も効率がよいこと。しかし・・・