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■スパイダーマンの動機
映画『スパイダーマン』(2002年)を見ていると、『大いなる力には、大いなる責任が伴う(With
great power comes great responsibility)』というせりふが出てくる。クモが持っている能力を得た青年、ピーターがスパイダーマンとして活躍する動機である。
荒唐無稽なアメリカンコミックであるにもかかわらず、この言葉を聞くとノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)という考え方を思いおこす。そもそもキリスト教圏の考え方だが、聖書にも『すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される』という言葉があるそうだ。
さらにもう一歩踏み込むと、大企業の社会的責任という考え方もここの延長線にあるわけで、アメリカのヒーローの動機付けというのはアメリカの現代社会において、力を持つものにも求められる精神であるわけだ。
■勧善懲悪
一方、わが日本のヒーローはどうだろうか。
スパイダーマンの映画のような作品が手元にないので、検証ができない分不公平なのだが、子供時代のヒーローものの主題歌をたぐると、『地球の平和を守る』という大義名分が多かったように思える。
『大義名分』と書いたが、日本のヒーローは自分が持つ力に伴う『社会的責任』ではなく、大義に対して活躍している。大儀をほぐせば正義ということになろうが、本質的に勧善懲悪だ。
正義と責任はどちらも重いものだが、宗教戦争をみるとわかるように、正義とはしばしば自己中心的な考え方が伴う。つまりショッカーの正義からいえば仮面ライダーは懲らしめるべく対象であり、毎週やられている怪人たちはショッカーにとって正義の味方であるかもしれない。ひょっとしてショッカーの世界では仮面ライダーに殺された怪人や戦闘員の鎮魂碑すらあるかもしれないわけだ。
だから正義はときどき違和感が伴う。ブッシュが、とある国を『悪の枢軸』などといったときに、私は思わずブッシュが仮面ライダーに、『悪の枢軸国』はショッカーに見えた。
■環境問題とも同じ
『地球の平和を守る』という大儀をみると、日本の環境問題の認識とも同様のものを思い出す。『地球を守る』とか『地球に優しく』といった類のものだ。
欧州の環境意識をみると、地球の温暖化が進むと人類の生存ができない。これは都合が悪い。という考え方であくまでも人間が中心におかれている。だから『地球を守る』という発想は基本的には出てこない。日本にくらべると社会的・政治的なレベルで環境が動くのも『人間中心主義』が原則的にあるからだろう。
日本でよく使われる『地球を守る』といった類の言葉はきれいなのだが、どこか他人事にきこえる。この言葉の軸は人間中心主義ではない。だから人間の責任が見えてこない。『地球を守る行為をする人は正義である』ということを表明しているだけだ。
ショッカーを倒す正義の味方はいるが、人類の生存環境を維持してくれる正義の見方『エコロジーマン』はいない。もし地球のための正義の味方がいたら『悪』は人類である。(了)
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